花筐館<秋桜の間>

 
  イタリア王家 Italy
  ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がナポレオン3世の支持を受けてイタリア統一戦争に勝利し、イタリア王国が成立。
2代ウンベルト1世は暗殺されている。3代ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世のときに第二次世界大戦が勃発、ムッソリーニに組閣を命じる。
敗戦後ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世はウンベルト2世に譲位するが、国民投票により王政廃止となり、王家は国外追放処分となった。

ウンベルト2世の男系男子子孫はイタリア入国が禁じられていたが、2002年、ウンベルト2世の妃マリーア・ジョゼの崩御を機に
ウンベルト2世の息子・ナポリ公ヴィットーリオ・エマヌエーレ(元王太子)と孫・エマヌエーレ・フィリベルトの帰国が実現した。
  系譜詳細
   
初代 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(1820-1878)(在位:1861-1878)
妃 アデライデ(オーストリア大公女)(1822-1855) 第一王女 マリーア・クロチルデ(1843-1911) ヴェストファーレン王子妃
第一王子 ウンベルト(1844-1900) ウンベルト1世
第二王子 アメデーオ(1845-1890) スペイン王
第三王子 オッドーネ(1846-1866) モンフェラート公、早世
第二王女 マリーア・ピア(1847-1911) ポルトガル王妃
第四王子 カルロ・アルベルト(1851-1854) シャブレ公、夭折
第五王子 ヴィットーリオ・エマヌエーレ(1852) 即日夭折
第六王子 ヴィットーリオ・エマヌエーレ(1855) ジェノヴァ伯、夭折
妾 ローザ・テレーザ(1833-1885)
※1869年貴賎結婚
庶子 ヴィットーリア(1848-1905) スピノラ侯爵夫人
庶子 エマヌエーレ・アルベルト(1851-1894) ミラフィオーリ伯、フォンタナフレッダ伯
庶子 夭折
妾 ローラ 庶子 男児(1852) 夭折
庶子 エマヌエラ(1853-1888)  
妾 ヴィルジニア 庶子 ヴィットーリオ(1861-1913)  
庶子 マリーア・ピア(1866-1947)  
妾 ヴィットーリア・デュプレ 庶子 女児 夭折
母未詳 庶子 ドナート(1858-1938)  
2代 ウンベルト1世(1844-1900)(在位:1878-1900)
妃 マルゲリータ(ジェノヴァ公女)(1851-1926) 第一王子 ヴィットーリオ・エマヌエーレ(1869-1947) ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世
3代 ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(1869-1947)(在位:1900-1946) ※兼エチオピア皇帝(1936-1943)、アルバニア王(1939-1943)
妃 エレナ(モンテネグロ王女)(1873-1952) 第一王女 ヨランダ(1901-1986) ベルゴロ伯夫人
第二王女 マファルダ(1902-1944) ヘッセン=カッセル方伯夫人
第一王子 ウンベルト(1904-1983) ウンベルト2世
第三王女 ジョヴァンナ(1907-2000) ブルガリア王妃
第四王女 マリーア(1914-2001) パルマ公子妃
4代 ウンベルト2世(1904-1983)(在位:1946)
妃 マリーア・ジョゼ(ベルギー王女)(1906-2001) 第一王女 マリーア・ピア(1934-)  
第一王子 ヴィットーリオ・エマヌエーレ(1937-) 王太子、ナポリ公
第二王女 マリーア・ガブリエラ(1940-)  
第三王女 マリーア・ベアトリーチェ(1943-)  

 

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