花筐館<葵の間>

 
  皇室系譜 - 江戸時代
   
 
第百八代天皇 後水尾天皇 (諱:政仁/後陽成天皇第三皇子)(文禄5(1596)年6月4日 - 延宝8(1680)年8月19日)(在位:慶長16(1611)年3月27日- 寛永6(1629)年11月8日)
皇后 源和子 (徳川秀忠女)(慶長12/1607 - 延宝6/1678) 東福門院 興子内親王 (元和9/1623 - 元禄9/1696) 女一宮
明正天皇
皇女某 (寛永2/1625 - 慶安4/1651) 女二宮、光明心院
近衞尚嗣室
高仁親王 (寛永3/1626 - 寛永5/1628) 眞照院
二品
皇子某 (寛永5/1628) 若宮、光融院
八條宮智仁親王養子
昭子内親王 (寛永6/1629 - 延宝3/1675) 女三宮、岩倉御所、妙荘嚴院
賀子内親王 (寛永9/1632 - 元禄9/1696) 女五宮、深信解院
二條光平室
皇女某 (寛永10/1633 - 寛永11/1634) 菊宮、元證院
典侍 明鏡院 藤原與津子 (四辻公遠女)(? - 寛永15/1638) およつ御寮人
御藤
大納言典侍
皇子某 (元和4/1618 - 元和8/1622) 賀茂宮、景雲院
文智 (元和5/1619 - 元禄10/1697) 梅宮、澤宮、圓照寺宮、深如海院
鷹司教平室 (*のち離縁)、落飾して圓照寺創建
典侍 葉室頼宣女 (慶長13/1608 - 寛永5/1628) 権典侍局    
掌侍 藤原隆子 (櫛笥隆致女)(慶長9/1604 - 貞享2/1685) 逢春門院
長橋局
四條局
御匣殿
准三宮
理昌女王 (寛永8/1631 - 明暦2/1656) 八重宮、宝鏡寺殿、仙壽院
宝鏡寺門跡
皇子某 (寛永10/1633) 靈照院
光子内親王 (寛永11/1634 - 享保12/1727) 緋宮、普明院宮
林丘寺門跡 (號:照山元瑤)
良仁親王 (寛永14/1637 - 貞享2/1685) 秀宮、後西天皇
はじめ高松宮家を相続し、桃園宮・花町宮と称す
一品、式部卿
性眞親王(俗諱眞敦) (寛永16/1639 - 元禄9/1696) 寛宮、大覚寺宮、金剛心院
二品 (贈一品)、大覚寺門跡
第十三皇女 某 (寛永17/1640 - 正保2/1645) 政宮、永光院
第十四皇女 理忠女王 (寛永18/1641 - 元禄2/1689) 柏宮、寶鏡寺宮、高徳院
宝鏡寺門跡
穏仁親王 (寛永20/1643 - 寛文5/1665) 幸宮、阿古麿、金剛壽院
三品、式部卿、八條宮家相続
第十五皇子 道寛親王(俗諱嘉遐) (正保4/1647 - 延宝4/1676) 聰宮、聖護院宮、淨願寺
二品、聖護院門跡
後宮 藤原光子(初名繼子) (園基任女)(慶長7/1602 - 明暦2/1656) 壬生院
京極局
准三宮
紹仁親王 (寛永10/1633 - 承応3/1654) 素鵞宮
後光明天皇
守澄親王(初名尊敬、俗諱幸教) (寛永11/1634 - 延宝8/1680) 今宮、輪王寺宮、本照院
一品、輪王寺門跡、天台座主
第十一皇女 元昌女王 (寛永14/1637 - 寛文2/1662) 滋宮、大聖寺殿、芳桂院
大聖寺門跡
第十二皇女 宗澄 (寛永16/1639 - 延宝6/1678) 谷宮、靈鑑寺宮、淨法身院
霊鑑寺門跡
皇子某 (寛永18/1641 - 寛永21/1644) 蕙宮、春香院
後宮 藤原國子(基子) (園基音女)(寛永元/1624 - 延宝5/1677) 新廣義門院
あぜち御局
新中納言局
准三宮
堯恕親王(俗諱完敏) (寛永17/1640 - 元禄8/1695) 照宮、妙法院宮、獅子吼院
二品、妙法院門跡、天台座主
第十五皇女 常子内親王 (寛永19/1642 - 元禄15/1702) 級宮、無上法院
近衞基煕室
第十六皇女 某 (正保元/1644 - 正保2/1645) 凉雲院
皇子某 (? - 正保4/1647) 梅窓院
第十六皇子 眞敬親王(初名信敬、俗諱常淳) (慶安2/1649 - 宝永3/1706) 登美宮、一乘院宮、三菩提院
二品、一乗院門跡、興福寺別当
第十七皇子 尊證親王(俗諱周賢) (慶安4/1651 - 元禄7/1694) 玲瓏宮、青蓮院宮、後桂蓮院
二品、青蓮院門跡、天台座主
第十九皇子 識仁親王 (承応3/1654 - 享保17/1732) 高貴宮
二品、靈元天皇
第十八皇女 永亨女王 (明暦3/1657 - 貞享3/1686) 珠宮、歓喜寺宮、大聖寺宮、本元院
大聖寺門跡
後宮 藤原繼子 (四辻季繼女)(? - 明暦3/1657) 権中納言局 尊光親王(俗諱良賢) (正保2/1645 - 延宝8/1680) 榮宮、知恩院宮、無量威王院
二品 (贈一品)、知恩院門跡
第十八皇子 盛胤親王(俗諱常尹) (慶安4/1651 - 延宝8/1680) 英宮、梶井宮、正法院
二品、梶井門跡、天台座主
第十七皇女 文察女王 (承応3/1654 - 天和3/1683) 睦宮、光照院宮、寶地光院
光照院門跡、のち圓照寺相続
後宮 藤原氏子 (水無瀬氏成女)(慶長12/1607 - 寛文12/1672) 帥局
小兵衛局
皇女某 (? - 寛永13/1636) 秋光院
皇女某 (寛永12/1635 - 寛永14/1637) 新宮、月桂院
性承親王(俗諱周敦) (寛永14/1637 - 延宝6/1678) 豐宮、仁和寺宮、後大御室
一品、仁和寺御室
第百九代天皇 明正天皇 (諱:興子/後水尾天皇皇女)(元和9(1623)年11月19日 - 元禄9(1696)年11月10日)(在位:寛永6(1629)年11月8日 - 寛永20(1643)年10月3日)
第百十代天皇 後光明天皇 (諱:紹仁/称号:素鵝宮/後水尾天皇皇子)(寛永10(1633)年3月12日 - 承応3(1654)年9月20日)(在位:寛永20(1643)年10月3日 - 承応3(1654)年9月20日)
典侍 榮雲院 源秀子 (庭田重秀女)(? - 貞享2/1685) 源典侍局
桂局
小一條局
第一皇女 孝子内親王 (慶安3/1650 - 享保10/1725) 女一宮、禮成門院
一品、准三宮
第百十一代天皇 後西天皇 (諱:良仁/称号:秀宮/後水尾天皇皇子)(寛永14(1637)年11月16日 - 貞享2(1685)年2月22日)(在位:承応3(1654)年11月28日 - 寛文3(1663)年1月26日)
女御 妙吉祥院 明子女王 (高松宮好仁親王女)(寛永10/1633 - 延宝8/1680)
*生年について、後西天皇実録では寛永15年とするが、有栖川宮(好仁親王)実録では寛永10年とする
  第一皇女 某 (慶安5/1652)  
第二皇女 誠子内親王 (承応3/1654 - 貞享3/1686) 八百宮、淸淨觀院
第一皇子 長仁親王 (明暦元/1655 - 延宝3/1675) 若宮、倉宮、阿茶麿、靈照院
中務卿、八條宮家相続
典侍 高嶽院 藤原共子 (清閑寺共綱女)(? - 元禄8/1695) 中納言典侍
新大納言局
東三條局
第二皇子 幸仁親王 (明暦2/1656 - 元禄12/1699) 二宮、多嘉丸、本空院
一品、式部卿、花町宮家(有栖川宮家)相続
第三皇女 某 (明暦3/1657) 女二宮、正源院
第四皇女 宗榮 (万治元/1658 - 享保6/1721) 撰宮、靈鑑寺宮、普賢院
霊鑑寺門跡
第五皇女 高榮(尊秀) (寛文元/1661 - 享保7/1722) 樂宮、中宮寺宮、慈雲院
中宮寺相続
第四皇子 義延親王(俗諱幸嘉) (寛文2/1662 - 宝永3/1706) 三宮、五宮、實相院宮、十如院
二品、実相院門跡、園城寺長吏
*元禄4(1691)年不行跡により蟄居
第七皇女 某 (寛文3/1663) 圓光院
第五皇子 天眞親王(初名守全、俗諱幸智) (寛文4/1664 - 元禄3/1690) 益宮、輪王寺宮、解脱院
一品、輪王寺門跡
第八皇女 某 (寛文6/1666 - 延宝3/1675) 賀陽宮、桂徳院
第十一皇女 益子内親王 (寛文9/1669 - 元文3/1738) 賢宮、心華光院
九條輔實室
第十二皇女 理豐女王 (寛文12/1672 - 延享2/1745) 橿宮、寶鏡寺宮、本覺院
宝鏡寺門跡
第十四皇女 瑞光 (延宝2/1674 - 宝永3/1706) 多喜宮、慈受院宮
慈受院入室、圓照寺兼帯
典侍 岩倉具起女 (? - 元禄10/1697) 権典侍局 第三皇子 永悟親王(俗諱貴平) (万治2/1659 - 延宝4/1676) 三宮、圓満院宮、法性院
円満院相続、園城寺長吏
掌侍 富小路頼直女 中内侍局
右京局
第六皇女 某 (寛文元/1661 - 寛文5/1665) 常宮、眞珠院
後宮 貞松院 藤原定子 (光源寺僧智秀女、梅小路定矩養女)(? - 延宝8/1680) 六條局 第九皇女 某 (寛文7/1667 - 寛文8/1668) 香久宮、寶樹院
第十皇女 聖安 (寛文8/1668 - 正徳2/1712) 館宮、曇華院宮
曇華院門跡
第六皇子 公辨親王(俗諱秀憲) (寛文9/1669 - 正徳6/1716) 貴宮、輪王寺宮、大明院
一品、准三宮、輪王寺門跡、天台座主
第七皇子 道祐親王(俗諱宗範) (寛文10/1670 - 元禄3/1690) 攀宮、聖護院宮、淨心寺
二品、聖護院門跡、園城寺長吏
第八皇子 尚仁親王 (寛文11/1671 - 元禄2/1689) 員宮、無量光院
弾正尹、八條宮家相続
第十三皇女 某 (寛文12/1672 - 延宝5/1677) 満宮、放光院
第十五皇女 尊杲(初名尊慶) (延宝3/1675 - 享保4/1719) 壽宮、光照院宮
光照院相続
第十六皇女 尊勝女王 (延宝4/1676 - 元禄16/1703) 貞宮、入江殿、即生院
三時智恩寺入室
第十一皇子 良應親王(俗諱勝明) (延宝6/1678 - 宝永5/1708) 勝宮、曼殊院宮、圓妙院
二品、曼珠院門跡、天台座主
第十二皇子 某 (延宝7/1679) 凉月院
後宮 梅盛院 (高辻豐長女) 按察使局 第九皇子 道尊親王(初名行惠、俗諱昌隆) (延宝3/1675 - 宝永2/1705) 菅宮、圓満院宮、聖護院宮、淨光寺
二品、聖護院門跡
後宮 藤原條子 (松木宗條女) 山小路局 第十皇子 某 (延宝5/1677) 槿榮院
第百十二代天皇 靈元天皇 (諱:識仁/称号:高貴宮/後水尾天皇第十九皇子)(承応3(1654)年5月25日 - 享保17(1732)年8月6日)(在位:寛文3(1663)年1月26日 - 貞享4(1687)年3月21日)
皇后 藤原房子 (鷹司教平女)(承応2/1653 - 正徳2/1712) 新上西門院 第三皇女 榮子内親王 (寛文13/1673 - 延享3/1746) 女二宮、妙功徳院
二品、二條綱平室
典侍 麗光院 藤原房子 (坊城俊廣女)(承応元/1652 - 延宝4/1676) 藤大典侍 第二皇女 憲子内親王 (寛文9/1669 - 貞享5/1688) 女一宮、臺岳院
近衞家煕室
典侍 蓮界院 小倉實起女 (承応2/1653 - 元禄4/1691)
*故あって禁裏を退く
中納言典侍 第一皇子 濟深親王(俗諱寛淸) (寛文11/1671 - 元禄14/1701) 一宮、勧修寺宮、即身院
二品、勧修寺門跡
典侍 藤原宗子 (松木宗條女)(明暦3/1657 - 享保17/1732) 敬法門院
お岩御寮人
大納言典侍
上臈局
准三宮
第四皇子 朝仁親王 (延宝3/1675 - 宝永6/1709) 五宮
東山天皇
第四皇女 福子内親王 (延宝4/1676 - 宝永4/1707) 綾宮 (はじめ英宮)、淸淨光院
伏見宮邦永親王妃
第五皇女 永秀女王 (延宝5/1677 - 享保10/1725) 友宮 (はじめ重宮)、大聖寺宮、勝光明院
大聖寺門跡
第八皇子 文仁親王 (延宝8/1680 - 宝永8/1711) 富貴宮、茶々丸、知惠觀院
一品、兵部卿、常磐井宮家相続
第六皇女 某 (延宝9/1681 - 天和3/1683) 梅宮 (はじめ田鶴宮)、梅香院
第七皇女 勝子内親王 (貞享3/1686 - 享保元/1716) 定宮 (はじめ養良宮)、勝巖院
第九皇子 某 (貞享5/1688 - 元禄6/1693) 淸宮、無量心院
掌侍 青隆院 源福子(通子) (愛宕通福女)(明暦2/1656 - 天和元/1681) 源内侍 第二皇子 寛隆親王(初名覺寛、俗諱師永) (寛文12/1672 - 宝永4/1707) 二宮、寛澄・覺助・覺恕、仁和寺宮、後金剛定院
一品、仁和寺御室
第五皇子 某 (延宝3/1675 - 延宝5/1677) 綱宮、紅玉院
掌侍 清光院 菅原庸子 (五條為庸女)(万治3/1660 - 天和3/1683)
*はじめ後水尾天皇皇女・常子内親王の上臈
屋津子
新内侍
少将内侍
第三皇子 某 (延宝3/1675 - 延宝5/1677) 三宮、見性院
円満院
第六皇子 堯延親王(俗諱周慶) (延宝4/1676 - 享保3/1718) 六宮、妙法院宮、寶心繋院
一品、妙法院門跡、天台座主
第七皇子 某 (延宝7/1679) 臺嶺院
掌侍 光音院 源博子 (東久世通廉女)(寛文12/1672 - 宝暦2/1752)
源中将局
帥局
大宮
第十二皇子 某 (元禄5/1692 - 元禄6/1693) 徳宮、瑞林院
第十三皇子 某 (元禄10/1697) 力宮、受樂光院
後宮 有芳院 (西洞院時良女)(? - 延宝2/1674) 多奈井小路局 第一皇女 某 (寛文9/1669) 智光院
後宮 菅原經子 (五條為庸女)(延宝元/1673 - ?) おひさ御寮人
菅中納言局
第十皇子 某 (元禄2/1689 - 元禄5/1692) 作宮 (はじめ正宮)、淨功徳院
常磐井宮家相続
第十一皇子 性應親王(俗諱寛敦) (元禄3/1690 - 正徳2/1712) 澤宮 (はじめ八十宮)、大覚寺宮、後佛母心寺
二品、大覚寺門跡
第八皇女 文喜 (元禄6/1693 - 元禄15/1702) 藤宮、菩提心院
圓照寺入室
第九皇女 元秀 (元禄9/1696 - 宝暦2/1752) 亀宮、林丘寺宮、普光院
林丘寺門跡
後宮 取光院 秦仲子 (松室重仲女)(延宝4/1676 - 寛延4/1751) 玉垣
少納言
第十八皇子 尊胤親王(俗諱榮貞) (正徳5/1715 - 元文4/1739) 悦宮、知恩院宮、最勝光院
二品 (贈一品)、知恩院門跡
後宮 清涼院 (今城定淳女)(? - 延享3/1746) 藤式部局 第十四皇子 尊賞親王(初名尊昭、俗諱庶賢) (元禄12/1699 - 延享3/1746) 多喜宮、一乘院宮、廣荘嚴院
二品、一乗院門跡
第十皇女 永應女王(初名文應) (元禄15/1702 - 宝暦4/1754) 乙宮、圓照寺宮、大聖寺宮、淸淨心院
円照院門跡、大聖寺兼帯
後宮 心觀院 秦敦子 (松室重敦女)(? - 延享3/1746) 柏木
伊勢局
右衛門佐局
第十七皇子 職仁親王 (正徳3/1713 - 明和6/1769) 明宮、本明圓心院
一品、中務卿、有栖川宮家相続
第十二皇女 吉子内親王 (正徳4/1714 - 宝暦8/1758) 八十宮、浄琳院
二品、将軍徳川家繼と縁約 (家繼薨去により流縁)
第十九皇子 堯恭親王(俗諱久嘉) (享保2/1717 - 明和元/1764) 幾宮、妙法院宮、三摩地院
一品、妙法院門跡、天台座主
後宮 倉橋泰貞女 (元禄4/1691 - 宝暦3/1753)
*享保9(1724)年院を退く
中将局
小左京
第十六皇子 某 (宝永7/1710 - 正徳3/1713) 峯宮、顯明院
後宮 入江相尚女 (? - 宝暦13/1763) おいつ御寮人
兵衛局
藤三位
第十五皇子 某 (宝永6/1709 - 正徳3/1713) 嘉智宮、淨妙院
第十一皇女 某 (宝永7/1710 - 正徳2/1712) 止宮、瑧岸院
後宮 南相忠女 (元禄15/1702 - 享保13/1728) 小侍従局
小少将局
第十三皇女 某 (享保6/1721 - 享保8/1723) 八重宮、慈觀院
第百十三代天皇 東山天皇 (諱:朝仁/称号:五宮/靈元天皇第四皇子)(延宝3(1675)年9月3日 - 宝永6(1709)年12月17日)(在位:貞享4(1687)年3月21日 - 宝永6(1709)年6月21日)
皇后 幸子女王 (有栖川宮幸仁親王女)(延宝8/1680 - 享保5/1720) 承秋門院
英宮
第一皇女 秋子内親王 (元禄13/1700 - 宝暦6/1756) 姫宮、光顯院
二品、伏見宮貞建親王妃
典侍 藤原賀子(慶子) (櫛笥隆賀女)(延宝3/1675 - 宝永6/1709) 新崇賢門院
勾當内侍
長橋局
権典侍
新大典侍局
四條局
贈准三宮
第一皇子 某 (元禄6/1693 - 元禄7/1694) 若宮、一宮、凉照院
第二皇子 某 (元禄9/1696 - 元禄11/1698) 二宮、高岳院
第四皇子 某 (元禄13/1700 - 元禄14/1701) 壽宮、靈智院
第五皇子 慶仁親王 (元禄14/1701 - 元文2/1737) 長宮
中御門天皇
第二皇女 某 (元禄16/1703 - 宝永2/1705) 福宮、尊勝法院
第六皇子 直仁親王 (宝永元/1704 - 宝暦2/1752) 秀宮、摩尼淨院
一品、弾正尹、閑院宮家創設
典侍 永壽院 藤原經子(兼子) (冷泉為經女、水無瀬兼豐養女)(延宝6/1678 - 宝暦5/1755)
*元禄10(1697)年禁裏を退く
藤内侍局
春日局
第三皇子 公寛親王(初名覺尊、俗諱有定) (元禄10/1697 - 元文3/1738) 三宮、輪王寺宮、崇保院
一品、准三宮、輪王寺門跡、天台座主
*出自について巷説あり、実録では親王宣下・敍品等の事実により皇子として掲記するとしている
掌侍 陽春院 (高辻長量女)(? - 享保元/1716) 菅内侍局
勾當内侍
櫻井局
第三皇女 某 (宝永4/1707) 光明定院
第四皇女 聖祝 (宝永6/1709 - 享保6/1721) 高宮、曇華院宮
曇華院門跡
第百十四代天皇 中御門天皇 (諱:慶仁/称号:長宮/東山天皇第五皇子)(元禄14(1701)年12月17日 - 元文2(1737)年4月11日)(在位:宝永6(1709)年6月21日 - 享保20(1735)年3月21日)
女御 藤原尚子 (近衞家煕女)(元禄15/1702 - 享保5/1720) 新中和門院
常君
准三宮
贈皇太后
第一皇子 昭仁親王 (享保5/1720 - 寛延3/1750) 若宮
櫻町天皇
典侍 眞如院 藤原石子 (清水谷實業女)(元禄16/1703 - 享保20/1735) 新典侍
権典侍局
民部卿典侍
第二皇子 公遵親王(俗諱保良) (享保7/1722 - 天明8/1788) 二宮、輪王寺宮、随自意院、隨宜樂院
一品、准三宮、輪王寺門跡、天台座主
第四皇女 理秀女王(理長) (享保10/1725 - 明和元/1764) 嘉久宮、宝鏡寺宮、淨照明院
宝鏡寺門跡、大慈院兼帯
第六皇女 尊乘女王 (享保15/1730 - 寛政元/1789) 亀宮、光照院宮、淨明心院
二品、光照院相続
第八皇女 某 (享保20/1735) 周宮、眞珠華院
典侍 是心院 藤原常子 (園基勝女)(? - 宝暦13/1763) 新典侍局
宰相典侍
第三皇子 忠譽親王(俗諱忠篤) (享保7/1722 - 天明8/1788) 三宮、聖護院宮、紫金光聚寺
一品、准三宮、聖護院相続、照高院兼帯
第三皇女 某 (享保9/1724 - 享保10/1725) 女五宮、淸淨法院
掌侍 妙色院 源夏子 (久世通夏女)(? - 享保19/1734) 源内侍 第二皇女 某 (享保8/1723) 女三宮、妙智院
第五皇女 成子内親王(初名恆子) (享保14/1729 - 明和8/1771) 籌宮、成菩提院
二品、閑院宮典仁親王妃
第七皇女 永皎女王(初名永杲) (享保17/1732 - 文化5/1808) 倫宮、大聖寺宮、勝妙樂院
二品、准三宮、大聖寺門跡、圓照寺兼帯
第五皇子 某 (享保19/1734) 信宮、妙光院
掌侍 菅原寛子(幸子) (五條為範女)(享保3/1718 - ?) おまち御寮人
侍従内侍
別當内侍
第六皇子 遵仁親王(俗諱寛全) (享保21/1736 - 延享4/1747) 政宮、仁和寺宮、三摩耶心院
一品、仁和寺御室
後宮 見性院 (小森頼季女、石井行康養女)(元禄16/1703 - 明和7/1770) 伊豫局
町局
左衛門佐
第一皇女 聖珊女王 (享保6/1721 - 宝暦9/1759) 姫宮、玉江和尚、曇華院宮
二品、曇華院門跡
第四皇子 慈仁親王(俗諱良視) (享保8/1723 - 享保20/1735) 四宮、仁和寺宮、寶荘嚴院
一品、仁和寺御室
第百十五代 櫻町天皇 (諱:昭仁/称号:若宮/中御門天皇第一皇子)(享保5(1720)年1月1日 - 寛延3(1750)年4月23日)(在位:享保20(1735)年3月21日 - 延享4(1747)年5月2日)
女御 藤原舎子 (二條吉忠女)(享保元/1716 - 寛政2/1790) 青綺門院
永君
准三宮
皇太后
第一皇女 盛子内親王 (元文2/1737 - 延享3/1746) 美喜宮、寶蓮華院
京極宮公仁親王と縁約 (当人薨去により流縁)
二品
第二皇女 智子内親王 (元文5/1740 - 文化10/1813) 緋宮(はじめ以茶宮)
一品、後櫻町天皇
典侍 藤原定子 (姉小路實武女)(享保2/1717 - 寛政元/1789) 開明門院
細井
新典侍
権典侍局
新宰相典侍
大典侍
三位局
第一皇子 遐仁親王 (寛保元/1741 - 宝暦12/1762) 茶地宮(はじめ八穂宮)
桃園天皇
典侍 藤原資子 (日野資時女)(享保13/1728 - 延享2/1745) 督典侍    
第百十六代天皇 桃園天皇 (諱:遐仁/称号:茶地宮/櫻町天皇第一皇子)(寛保元(1741)年2月29日 - 宝暦12(1762)年7月12日)(在位:延享4(1747)年5月2日 - 宝暦12(1762)年7月12日)
女御 藤原富子 (一條兼香女)(寛保3/1743 - 寛政7/1795) 恭禮門院
佐保君
准三宮
皇太后
第一皇子 英仁親王 (宝暦8/1758 - 安永8/1779) 若宮
後桃園天皇
第二皇子 貞行親王 (宝暦10/1760 - 明和9/1772) 二宮、壽宮、眞淨明院
二品、伏見宮家相続
第百十七代天皇 後櫻町天皇 (諱:智子/称号:緋宮/櫻町天皇第二皇女)(元文5(1740)年8月3日 - 文化10(1813)年閏11月2日)(在位:宝暦12(1762)年7月27日 - 明和7(1770)年11月24日)
第百十八代天皇 後桃園天皇 (諱:英仁/称号:若宮/桃園天皇第一皇子)(宝暦8(1758)年7月2日 - 安永8(1779)年10月29日)(在位:明和7(1770)年11月24日 - 安永8(1779)年10月29日)
女御 藤原維子 (近衞内前女)(宝暦9/1759 - 天明3/1783) 盛化門院
倫君
准三宮
皇太后
第一皇女 欣子内親王 (安永8/1779 - 弘化3/1846) 女一宮、新清和院
准三宮、光格天皇皇后
第百十九代天皇 光格天皇 (諱:兼仁/称号:祐宮/閑院宮典仁親王第六王子)(明和8(1771)年8月15日 - 天保11(1840)年11月18日)(在位:安永8(1779)年11月25日 - 文化14(1817)年3月22日)
皇后 欣子内親王 (後桃園天皇皇女)(安永8/1779 - 弘化3/1846) 新清和院 第五皇子 温仁親王 (寛政12/1800) 若宮、成上動院
光格天皇儲君
第九皇子 悦仁親王 (文化13/1816 - 文政4/1821) 高貴宮、瑠璃光院
典侍 雲遊院 藤原媋子 (勧修寺經逸女)(安永9/1780 - 天保14/1843) 東京極院
おふゆ

新典侍
宰相典侍
大夫典侍
権中納言典侍
三位局
贈准三宮
第六皇子 惠仁親王 (寛政12/1800 - 弘化3/1846) 寛宮
仁孝天皇
第二皇女 某 (文化5/1808 - 文化6/1809) 多祉宮、善行院
第四皇女 某 (文化14/1817 - 文政2/1819) 娍宮、尊勝光院
典侍 蓮觀院 藤原聰子 (姉小路公聰女)(寛政6/1794 - ?) 新典侍
督典侍
菖蒲小路
第五皇女 永潤 (文政3/1820 - 文政13/1830) 倫宮、普明淨院
大聖寺門跡
第八皇女 聖淸 (文政9/1826 - 文政10/1827) 見音宮(はじめ媛宮)、瓔珞珠院
曇華院相続
第十皇子 某 (天保4/1833 - 天保6/1835) 嘉糯宮、相嚴身院
典侍 天香院 藤原正子 (高野保香女)(? - 弘化3/1846) お阿屋
新典侍
督典侍
大典侍
新大納言典侍
第八皇子 某 (文化12/1815 - 文政2/1819) 猗宮、解脱樂院
典侍 厚淳院 藤原頼子 (葉室頼煕女)(安永2/1773 - 弘化3/1846) 新典侍
督典侍
民部卿典侍
藤中納言
第二皇子 禮仁親王 (寛政2/1790 - 寛政3/1791) 哲宮、寶鈴院
第一皇女 某 (寛政4/1792 - 寛政5/1793) 壽賀宮(はじめ能布宮)、蓮體院
第四皇子 某 (寛政5/1793 - 寛政6/1794) 俊宮、圓鏡院
掌侍 普照光院 菅原和子 (東坊城益良女)(天明2/1782 - 文化8/1811) 新内侍 第七皇子 盛仁親王 (文化7/1810 - 文化8/1811) 磐宮、成正覺院
桂宮家相続
第三皇女 某 (文化8/1811) 靈妙心院
掌侍 藤原明子 (富小路貞直女)(? - 文政11/1828) 衛門掌侍
小侍従
第六皇女 某 (文政5/1822) 治宮、殊妙光院
第七皇女 蓁子内親王 (文政7/1824 - 天保13/1842) 欽宮、三麼地院
宝鏡寺相続 (法号:理欽靈巖大禅尼)
第九皇女 某 (文政9/1826 - 文政10/1827) 勝宮、無上覺院
懐妊 (文政11/1828)  
掌侍 某氏 長橋局 第三皇子 某 (寛政4/1792) 受樂院宮
母未詳   第一皇子 某 (寛政元/1789) 開示院宮
第百二十代 仁孝天皇 (諱:惠仁/称号:寛宮/光格天皇第六皇子)(寛政12(1800)年2月21日 - 弘化3(1846)年1月26日)(在位:文化14(1817)年3月22日 - 弘化3(1846)年1月26日)
女御 藤原繋子 (鷹司政煕女)(寛政10/1798 - 文政6/1823) 新皇嘉門院
貞君
准三宮
贈皇后
第一皇子 安仁親王 (文政3/1820 - 文政4/1821) 鍠宮、妙荘嚴院
第一皇女 某 (文政6/1823) 慈悲心院
女御 藤原祺子 (鷹司政煕女、鷹司政通養女)(文化8/1811 - 弘化4/1847) 新朔平門院
清君
准三宮
皇太后
第四皇女 某 (文政12/1829 - 天保2/1831) 女二宮、摩尼珠院
典侍 藤原雅子 (正親町實光女)(享和3/1803 - 安政3/1856) 新待賢門院
お八重
お百喜
権典侍局
宰相典侍
藤大納言
准三宮
第二皇子 某 (文政8/1825 - 文政10/1827) 鎔宮、眞解脱院
第四皇子 統仁親王 (天保2/1831 - 慶応2/1866) 煕宮
孝明天皇
第六皇子 節仁親王 (天保4/1833 - 天保7/1836) 幹宮、如意寶院
桂宮家相続
第七皇女 某 (天保8/1837 - 天保9/1838) 恭宮、常樂光院
典侍 禎祥院 藤原妍子 (甘露寺國長女)(文化3/1806 - 嘉永4/1851) 按察使典侍
新典侍
権典侍
第二皇女 某 (文政8/1825 - 文政9/1826) 成宮、瑞放光院
第三皇女 淑子内親王 (文政12/1829 - 明治14/1881) 敏宮、桂准后宮
閑院宮愛仁親王と縁約 (親王薨去により流縁)
一品、准三宮、桂宮家相続
第三皇子 某 (文政13/1830 - 天保2/1831) 三宮、紫金身院
第五皇女 某 (天保3/1832 - 天保4/1833) 聰宮、明鏡心院
第六皇女 某 (天保7/1836) 經宮、眞正珠院
典侍 藤原績子(初名愛子) (中山愛親女)(寛政7/1795 - 明治8/1875) 美禰
高松
宰相典侍
大典侍
   
典侍 勧行院 藤原經子 (橋本實久女)(文政9/1826 - 慶応元/1865) おすめ
新典侍
第七皇子 某 (天保15/1844 - 弘化2/1845) 胤宮、歡喜乘院
第八皇女 親子内親王 (弘化3/1846 - 明治10/1877) 和宮、靜寛院宮
はじめ有栖川宮熾仁親王と縁約 (のち破約)
二品 (贈一品)、将軍徳川家茂室
掌侍 孝順院 藤原媋子(初名敏子) (今城定成女)(文化6/1809 - 明治8/1875) お満喜
新内侍
馬内侍
第五皇子 某 (天保3/1832) 常寂光院
第百二十一代 孝明天皇 (諱:統仁/称号:煕宮/仁孝天皇第四皇子)(天保2(1831)年6月14日 - 慶応2(1866)年12月25日)(在位:弘化3(1846)年2月13日 - 慶応2(1866)年12月25日)
女御 藤原夙子 (九條尚忠女)(天保5/1834 - 明治30/1897) 英照皇太后
基君
准三宮
皇太后
第一皇女 順子内親王 (嘉永3/1850 - 嘉永5/1852) 女一宮、普明照院
第二皇女 某 (安政5/1858 - 安政6/1859) 富貴宮、佛華香院
典侍 藤原慶子 (中山忠能女)(天保6/1835 - 明治40/1907) 於安榮
権典侍局
督典侍
新宰相
三位局
中山一位局
第二皇子 睦仁親王 (嘉永5/1852 - 明治45/1912) 祐宮
明治天皇
典侍 乘蓮華院 藤原伸子 (坊城俊明女)(文政13/1830 - 嘉永3/1850) 萬壽
新典侍局
第一皇子 某 (嘉永3/1850) 妙香華院
掌侍 藤原紀子 (堀河康親女)(天保8/1837 - 明治43/1910)
*文久2(1862)年辞職し禁裏を退下
おきさ
衛門掌侍
藤式部
第三皇女 某 (安政6/1859 - 文久元/1861) 壽萬宮、寶蓮華院
第四皇女 某 (文久元/1861 - 文久2/1862) 理宮、寶相心院
   

 

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