花筐館<葵の間>

 
  皇室系譜 - 北朝
   
 
北朝第一代 光嚴天皇 (諱:量仁/後伏見天皇第三皇子)(正和2(1313)年7月9日 - 貞治3/正平19(1364)年7月7日)(在位:元徳3/元弘元(1331)年9月20日 - 正慶2/元弘3(1333)年5月25日)
典侍 藤原秀子 (三條公秀女)(応長元/1311 - 観応3/1352) 陽禄門院
三條局
大納言典侍
准三宮
皇女某 (正慶2/1333 - ?)  
興仁親王(初名益仁) (建武元/1334 - 応永5/1398) 崇光天皇
彌仁親王 (建武5/1338 - 応安7/1374) 後光嚴天皇
後宮 懽子内親王 (後醍醐天皇皇女)(正和4/1315 - 康安2/1362) 宣政門院
准三宮
皇女某 (建武4/1337 - ?)  
後宮 壽子内親王 (花園天皇皇女)(文保2/1318 - 延文3/1358) 徽安門院
准三宮
   
後宮 正親町實明女
*直仁親王乳母
對御方 尊朝親王(俗諱尊敦、初名惠仁) (康永3/1344 - 永和4/1378) 大聖院御室
仁和寺
後宮 正親町公蔭女
*はじめ徽安門院侍女
一條局
徽安門院一條
義仁親王 (? - 応永20/1413) 正親町宮
後宮 西園寺實衡女 今御方    
母未詳   光子内親王 一品
藤原秀子所生の皇女某あるいは懽子内親王所生の皇女某と同一人の可能性あり
三宝院本帝王系図は内親王の母を懽子内親王とする
惠嚴 (? - 至徳3/1386) 尼僧
藤原秀子所生の皇女某あるいは懽子内親王所生の皇女某と同一人の可能性あり
北朝第二代 光明天皇 (諱:豐仁/後伏見天皇第九皇子)(元亨元(1321)年12月23日 - 康暦2/天授6(1380)年6月24日)(在位:建武3/延元元(1336)年8月15日 - 貞和4/正平3(1348)年10月27日)
後宮 三條實躬女   第一皇女 某 (? - 応永29/1422) 長照院殿
第二皇女 某 法華寺長老
母未詳   周尊  
北朝第三代 崇光天皇 (諱:興仁/光嚴天皇第一皇子)(建武元(1334)年4月22日 - 応永5(1398)年1月13日)(在位:貞和4/正平3(1348)年10月27日 - 観応2/正平6(1351)年11月7日)
典侍 源資子 (庭田重資女) 按察典侍
大納言局
杉殿
榮仁親王 (観応2/1351 - 応永23/1416) 伏見殿、萩原殿
伏見宮家創設
興信親王 (延文3/1358 - 明徳2/1391) 施無院
勧修寺長吏
後宮 眞修院 某氏 (? - 応永24/1417) 三條局 弘助親王 (永和4/1378 - ?) 相應院宮
二品、仁和寺
皇女某 (? - 応永27/1420) 入江殿今御所
瑞室 (? - 正長2/1429) 眞乘寺御比丘尼御所
阿榮 南禅寺蔵主
皇子某 南禅寺蔵主
後宮 某氏 治部卿局 皇女某 (? - 応永31/1424) 長照院殿
母未詳   皇子某  
北朝第四代 後光嚴天皇 (諱:彌仁/光嚴天皇皇子)(建武5/延元3(1338)年3月2日 - 応安7/文中3(1374)年1月29日)(在位:観応3/正平7(1352)年8月17日 - 応安4/建徳2(1371)年3月23日)
典侍 紀仲子 (紀通清女)(暦応2/1339 - 応永34/1427) 崇賢門院
中納言典侍
三位殿
梅町殿
北山殿
南御所
准三宮
第二皇子 緒仁親王 (延文3/1358 - 明徳4/1393) 後圓融天皇
永助親王(俗諱煕永、初名空助) (康安2/1362 - 永享9/1437) 仁和寺宮、後常瑜伽院御室
一品、仁和寺御室
堯仁親王 (貞治2/1363 - 永享2/1430) 妙法院宮
一品、天台座主、四天王寺別当
堯性親王 (応安4/1371 - 嘉慶2/1388) 妙法院
典侍 日野時光女 (? - 康暦2/1380)
*のち廣橋仲光室
  皇女某 母未詳の皇女のいずれかに該当する可能性あり
掌侍 橘知繁女 少納言内侍 第十一皇子 明承親王 (貞治6/1367 - 応永3/1396) 梶井宮
天台座主
*伯耆局所生説あり
後宮 法印長快女 右京大夫局
伯耆局
第四皇子 覺叡親王 (延文6/1361 - 永和3/1377) 梶井宮
第九皇子 道圓親王(俗諱久尊) (貞治3/1364 - 至徳2/1385) 青蓮院宮、後大乘院宮
天台座主、青蓮院門跡
聖助親王 (応安4/1371 - ?) 本覺院宮
三品?、一身阿闍梨
後宮 某氏 右衛門佐局 第一皇子 亮仁親王(俗諱尊貞) (文和4/1355 - 応安3/1370) 妙法院宮
皇子某 (康安2/1362 - 応安2/1369)  
覺増親王 (貞治2/1363 - 明徳元/1390) 園城寺長吏
母未詳   治子内親王 柳殿内親王
准三宮
第三皇子 行助親王(俗諱煕平) (延文5/1360 - 至徳3/1386) 圓満院宮
二品、円満院門主、園城寺長吏、四天王寺別当
第十皇子 寛守親王 (貞治5/1366 - 応永8/1401) 上乘院
第十二皇子 寛教親王(俗諱道信、初名道寛) (応安3/1370 - 応永12/1405) 大覺寺宮、龍華院宮
大覚寺門跡
見子内親王 入江内親王
三時智恩寺
秀仁 尼僧、景愛寺長老
皇女某 龍頭庵院主
北朝第五代 後圓融天皇 (諱:緒仁/後光嚴天皇第二皇子)(延文3/正平13(1358)年12月12日 - 明徳4(1393)年4月26日)(在位:応安4/建徳2(1371)年3月23日 - 永徳2/弘和2(1382)年4月11日)
典侍 藤原今子 (四條隆郷女) 帥典侍
大典侍局
第二皇子 道朝親王 (永和4/1378 - 文安3/1446) 上乘院宮
二品
懐妊 (康暦2/1380) 出産したかどうか不明
母不詳の皇女のいずれかに該当する可能性あり
後宮 藤原嚴子 (三條公忠女)(観応2/1351 - 応永13/1406) 通陽門院
准三宮
第一皇子 幹仁親王 (永和3/1377 - 永享5/1433) 後小松天皇
珪子内親王 (永徳元/1381 - 応永6/1399)  
(永徳2/1382 - ?) 男女の別不明
母不詳の皇女のいずれかに該当する可能性あり
後宮 三條實音女   懐妊 (永和2/1376) 出産したかどうか不明
母不詳の皇女のいずれかに該当する可能性あり
後宮 橘知繁女 按察局    
母未詳   皇女某 (? - 明徳2/1391)  
皇女某 大聖寺
   

 

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