花筐館<葵の間>

 
  皇室系譜 - 鎌倉時代
   
 
第八十二代天皇 後鳥羽天皇 (諱:尊成/高倉天皇第四皇子)(治承4(1180)年7月14日 - 延応元(1239)年2月22日)(在位:寿永2(1183)年8月20日 - 建久9(1198)年1月11日) "隠岐法皇"
皇后 藤原任子 (藤原兼實女)(承安3/1173 - 暦仁元/1238) 宜秋門院 第一皇女 昇子内親王 (建久6/1195 - 建暦元/1211) 春華門院、尊称皇后
一品、准三宮
後宮 源在子 (法印能圓女、源通親養女)(承安元/1171 - 正嘉元/1257) 承明門院
宰相の君
准三宮
為仁親王 (建久6/1195 - 寛喜3/1231) 土御門天皇
後宮 藤原重子(初名範子) (藤原範季女)(寿永元/1182 - 文永元/1264) 修明門院
二位殿
准三宮
守成親王 (建久8/1197 - 仁治3/1242) 順徳天皇
雅成親王 (正治2/1200 - 建長7/1255) 六條宮、但馬宮
三品
尊快親王(俗諱寛成) (元久元/1204 - 寛元4/1246) 梶井宮
天台座主
後宮 藤原信清女 坊門局
西御方
道助親王(俗諱長仁) (建久7/1196 - 宝治3/1249) 光臺院御室、高野御室、後高野御室
二品?、仁和寺御室
第三皇女 禮子内親王 (正治2/1200 - 文永10/1273) 嘉陽門院
准三宮、賀茂斎院(1204-1212)
頼仁親王 (建仁元/1201 - 文永元/1264) 冷泉宮、兒嶋宮、小嶋宮
後宮 藤原定能女
*はじめ宜秋門院女房
大宮局
對御方
尊圓親王 (承元元/1207 - 寛喜3/1231) 聖護院
行超 権大僧都
後宮 源信康女 丹波局
兵衛督
加賀内侍
第二皇女 粛子内親王 (建久7/1196 - ?) 高辻斎宮
准三宮、伊勢斎宮(1199-1210)
後宮 法眼顯淸女 (? - 元久元/1204) 尾張局 道覺親王(俗諱朝仁) (元久元/1204 - 建長2/1250) 吉水宮、西山宮
天台座主、青蓮院門跡
後宮 某氏 少納言典侍 道守(初名圓快) (建久9/1198 - ?) 保壽院法印
後宮 某氏
*舞女
覺仁親王 (建久9/1198 - 文永3/1266) 櫻井宮
園城寺長吏
後宮 某氏
*舞女

右衛門督
第五皇女 煕子内親王 (元久2/1205 - ?) 深草斎宮
准三宮、伊勢斎宮(1215-1221)
後宮 某氏
*舞女
姫法師 覺譽 大僧都
道伊  
道縁 一身阿闍梨
後宮 某氏
*舞女
二條局
亀菊
伊賀局
   
母未詳   皇子某 (建仁元/1201 - 建暦3/1213) 一條宮
第四皇女 某 (建仁2/1202 - 建永2/1207)  
第八十三代天皇 土御門天皇 (諱:為仁/後鳥羽天皇皇子)(建久6(1195)年12月2日 - 寛喜3(1231)年10月11日)(在位:建久9(1198)年1月11日 - 承元4(1210)年11月25日) "阿波院"
皇后 藤原麗子 (藤原頼實女)(文治元/1185 - 寛元元/1243) 陰明門院    
典侍 源通子 (源通宗女)(? - 承久3/1221) 贈皇太后 春子女王 (承元4/1210 - 寛喜2/1230)  
覺子内親王 (建保元/1213 - 弘安8/1285) 正親町院
准三宮
仁助親王 (建保2/1214 - 弘長2/1262) 圓満院宮
園城寺長吏、四天王寺別当
静仁親王 (建保4/1216 - 永仁4/1296) 雙林寺、五辻
園城寺長吏
邦仁親王 (承久2/1220 - 文永9/1272) 後嵯峨天皇
掌侍 高階仲資女 美作内侍 道仁親王 (承元4/1210 - 弘長3/1263) 法住寺宮、大原野宮、桂園院
園城寺長吏
皇女某  
掌侍 源貞光女   秀子女王  
後宮 源有雅女 大宮局 曦子内親王 (元仁元/1224 - 弘長2/1262) 仙華門院、尊称皇后
伊勢斎宮(1244-1246)
後宮 法印定勝女 治部卿局 道圓親王 (元仁元/1224 - 弘安4/1281) 安井宮、西院宮
信子女王  
後宮 法印尋惠女 (? - 文永6/1269) 督局 尊助親王 (建保5/1217 - 正応3/1290) 大原宮
二品、青蓮院門跡、天台座主
後宮 法眼圓譽女   最仁親王 (寛喜3/1231 - 永仁3/1295) 中山宮
梶井門跡、天台座主
後宮 僧都證遍女 左京大夫局 諄子内親王 (? - 文応元/1260)  
後宮 藤原範光女 宮内卿局 知子女王  
後宮 律師兼尊女   増仁 汁谷宮
権大僧都
後宮 法橋覺宴女 尾張局 尊守親王 (承元4/1210 - 文応元/1260) 高橋宮
護持僧
後宮 法橋雲顯女 丹波局 是子女王  
母未詳   懐尊  
寂惠  
第八十四代天皇 順徳天皇 (御名:守成/後鳥羽天皇皇子)(建久8(1197)年9月10日 - 仁治3(1242)年9月12日)(在位:承元4(1210)年11月25日 - 承久3(1221)年4月20日) "佐渡院"
皇后 藤原立子 (藤原良經女)(建久3/1192 - 宝治元/1247) 東一條院 諦子内親王 (建保5/1217 - 寛元元/1243) 明義門院
准三宮
懐成親王 (建保6/1218 - 天福2/1234) 仲恭天皇
後宮 藤原信清女 大納言局 禯子内親王 (建保4/1216 - 弘安2/1279) 永安門院
准三宮
後宮 藤原範光女
*はじめ源通光の妻
督典侍
東御方
彦成王  
善統親王 (天福元/1233 - 文保元/1317) 四辻宮
後宮 藤原清季女   尊覺親王 (建保3/1215 - 文永元/1264) 建長宮、梶井宮、中山房
天台座主
覺惠親王 (建保5/1217 - ?) 聖護院宮、眞如院宮
園城寺長吏
忠成王 (貞応元/1222 - 弘安3/1280) 岩倉宮
後宮 法印公雅女 宰相局 義尹 (建保5/1217 - 正安2/1300)  
母未詳
*実録では右記の三子は佐渡風土記、佐渡志などのほかには史料に記載がなく、
にわかに信憑しがたいがひとまず掲記するとしている
  慶子  
忠子  
皇子某 千歳宮
第八十五代天皇 仲恭天皇 (諱:懐成/順徳天皇皇子)(建保6(1218)年10月10日 - 天福2(1234)年5月20日)(在位:承久3(1221)年4月20日 - 同年7月9日) "九條廃帝"
後宮 法印性慶女 右京大夫局 第一皇女 義子内親王 (文暦元/1234 - 正応2/1289) 和徳門院
准三宮
第八十六代天皇 後堀河天皇 (諱:茂仁/後高倉院守貞親王第三皇子)(建暦2(1212)年2月18日 - 天福2(1234)年8月6日)(在位:承久3(1221)年7月9日 - 貞永元(1232)年10月4日)
皇后 藤原有子 (藤原公房女)(承元元/1207 - 弘安9/1286) 安喜門院    
皇后 藤原長子 (藤原家實女)(建保6/1218 - 文永12/1275) 鷹司院    
皇后 藤原竴子 (藤原道家女)(承元3/1209 - 天福元/1233) 藻璧門院 第一皇子 秀仁親王 (寛喜3/1231 - 仁治3/1242) 四條天皇
暐子内親王 (貞永元/1232 - 嘉禎3/1237) 准三宮
皇子某 (天福元/1233)  
後宮 藤原兼良女 大納言局  昱子内親王 (寛喜3/1231 - 寛元4/1246) 伊勢斎宮(1237-1242)
後宮 藤原家行女 別當典侍 暉子内親王 (安貞2/1228 - 正安2/1300) 室町院
准三宮
體子内親王 (寛喜3/1231 - 正安3/1301) 神仙門院
准三宮、後嵯峨天皇妃
母未詳   順子内親王  
第八十七代天皇 四條天皇 (諱:秀仁/後堀河天皇第一皇子)(寛喜3(1231)年2月12日 - 仁治3(1242)年1月9日)(在位:貞永元(1232)年10月4日 - 仁治3(1242)年1月9日)
女御 藤原彦子 (藤原教實女)(安貞元/1227 - 弘長2/1262) 宣仁門院
准三宮
   
尚侍 藤原佺子 (藤原道家女)      
第八十八代天皇 後嵯峨天皇 (諱:邦仁/土御門天皇皇子)(承久2(1220)年2月26日 - 文永9(1272)年2月17日)(在位:仁治3(1242)年1月20日 - 寛元4(1246)年1月29日)
皇后 藤原姞子 (西園寺實氏女)(嘉禄元/1225 - 正応5/1292) 大宮院 久仁親王 (寛元元/1243 - 嘉元2/1304) 後深草天皇
綜子内親王 (宝治元/1247 - 文永6/1269) 月華門院
一品?、准三宮
恒仁親王 (建長元/1249 - 嘉元3/1305) 亀山天皇
雅尊親王 (建長6/1254 - 建長8/1256)  
貞良親王 (建長8/1256 - 正元2/1260)  
皇女某 (正元2/1260 - ?)  
典侍 平棟子 (平棟基女) 兵衛内侍
宰相典侍
准三宮
宗尊親王 (仁治3/1242 - 文永11/1274) 一品、征夷大将軍
掌侍 藤原博子 (藤原孝時女) 勾当内侍
刑部卿局
覺助親王 (建長2/1250 - 延元元/1336) 聖護院宮
一品、園城寺長吏、四天王寺別当
懌子内親王 (弘長2/1262 - 永仁2/1294) 五條院
准三宮、亀山天皇後宮
某内親王 柳殿
掌侍 四條隆衡女 (? - 弘安9/1286) 按察三位局 最助親王 (建長5/1253 - 正応6/1293) 梶井宮
天台座主、梶井門跡、四天王寺別当
後宮 體子内親王 (後堀河天皇皇女)(寛喜3/1231 - 正安3/1301) 神仙門院
准三宮
皇女某 (? - 弘安4/1281)  
後宮 藤原公子 (西園寺公經女)(? - 文応元/1260) 大納言三位局 慈助親王 (建長6/1254 - 永仁3/1295) 青蓮院新宮、市川宮
天台座主
悦子内親王 (正元元/1259 - 元弘2/1332) 延政門院
准三宮
後宮 三條公房女 (? - 宝治元/1247)
*はじめ大宮院女房
御匣殿 性助親王(俗諱省仁) (宝治元/1247 - 弘安5/1282) 後中御室、高雄御室、甘露王院
二品、仁和寺御室
後宮 藤原俊盛女 二條局 愷子内親王 (建長4/1252 - 弘安7/1284) 准三宮、伊勢斎宮(1262-1272)
後宮 中院通方女 大納言局 皇子某 (寛元元/1243)  
後宮 藤原實世女   浄助親王 (建長5/1253 - 弘安3/1280) 青蓮華院宮
後宮 藤原能保女 左衛門督局 圓助親王 (嘉禎2/1236 - 弘安5/1282) 円満院宮、早田宮
二品、園城寺長吏、四天王寺別当
後宮 藤原良平女   忠助親王 (? - 正応3/1290) 聖護院宮
園城寺長吏
後宮 源氏   勝助 勝法印宮
後宮 法眼證圓女 一條殿局 仁惠親王 (寛元2/1244 - 永仁6/1298) 五辻新宮
権大僧都
後宮 藤原氏   顕日 (仁治2/1241 - 正和5/1316)  
母未詳   皇女某 (建長3/1251 - ?) 藤原博子所生の柳殿、あるいは體子内親王所生の皇女と同一人物の可能性あり
第八十九代天皇 後深草天皇 (諱:久仁/後嵯峨天皇皇子)(寛元元(1243)年6月10日 - 嘉元2(1304)年7月16日)(在位:寛元4(1246)年1月29日 - 正元元(1259)年11月26日)
皇后 藤原公子(初名祉子) (西園寺實氏女)(貞永元/1232 - 嘉元2/1304) 東二條院 貴子内親王 (弘長2/1262 - 文永10/1273)  
皇女某 (文永2/1265 - 文永3/1266)  
姈子内親王 (文永7/1270 - 徳治2/1307) 遊義門院、尊称皇后
後宇多天皇後宮
後宮 藤原愔子 (洞院實雄女)(寛元4/1246 - 元徳元/1329) 玄輝門院
東御方
准三宮
第一皇子 某 (弘長3/1263 - 文永2/1265)  
第二皇子 煕仁親王 (文永2/1265 - 文保元/1317) 伏見天皇
性仁親王(初名満仁) (文永4/1267 - 嘉元2/1304) 仁和寺宮、高雄御室
一品、仁和寺御室
久子内親王 (文永9/1272 - 興国7/1346) 永陽門院
二品、准三宮
後宮 藤原相子 (西園寺公相女) 三位局
土御門准后
准三宮
媖子内親王 (正応元/1288 - 正平7/1352) 陽徳門院
准三宮
後宮 三善衡子(忠子) (三善康衡女) 左衛門佐局 深性親王 (建治2/1276 - 正安元/1299) 尊勝院御室
二品、仁和寺御室
後宮 藤原房子 (三條公親女)
*はじめ遊義門院侍女
二品局
御匣殿
行覺親王 (文永11/1274 - 永仁元/1293) 後深草宮
園城寺長吏、四天王寺別当
久明親王 (建治2/1276 - 嘉暦3/1328) 一品、征夷大将軍
永子内親王 (? - 延元3/1338) 章善門院
准三宮
後宮 藤原成子 (西園寺公經女) 大納言二位局 幸仁親王 (文永6/1269 - 文永9/1272)  
後宮 藤原茂通女 別當典侍 恒助親王 (正応4/1291 - 延慶3/1310) 後金龍寺宮
園城寺長吏、四天王寺別当
母未詳   増覺親王  
皇女某 (嘉元2/1304 - 天授4/1378)  
第九十代天皇 亀山天皇 (諱:恒仁/後嵯峨天皇皇子)(建長元(1249)年5月27日 - 嘉元3(1305)年9月15日)(在位:正元元(1259)年11月26日 - 文永11(1274)年1月26日)
皇后 藤原佶子 (洞院實雄女)(寛元3/1245 - 文永9/1272) 京極院 睍子内親王 (弘長2/ - 文永元/1264)  
知仁親王 (文永2/1265 - 文永4/1267)  
世仁親王 (文永4/1267 - 元亨4/1324) 後宇多天皇
皇后 藤原嬉子 (西園寺公相女)(建長4/1252 - 文保2/1318) 今出河院    
女御 藤原位子 (近衛基平女)(弘長2/1262 - 永仁4/1296)
*のち松殿兼嗣室
新陽明門院
准三宮
啓仁親王 (建治2/1276 - 弘安元/1278)  
繼仁親王 (弘安2/1279 - 弘安3/1280)  
典侍 藤原雅子 (法性寺雅平女) 高倉局
中納言典侍
憙子内親王 (文永10/1273 - 元亨4/1324) 昭慶門院、河鰭宮、川ばたどのの女院
准三宮
典侍 藤原實平女 三條局
大納言典侍
良助親王 (文永5/1268 - 文保2/1318) 常壽院宮、姉小路宮
妙法院門跡、青蓮院門跡、天台座主
聖雲親王 (文永8/1271 - 正和3/1314) 遍智院宮
醍醐寺座主
覺雲親王 (文永9/1272 - 元亨3/1323) 後菩提院宮、菩提院宮
二品、天台座主
皇女某 九條師教室
典侍 平時仲女 帥典侍 順助親王 (建治3/1277 - 元応2/1320) 園城寺長吏
慈道親王 (弘安5/1282 - 興国2/1341) 青蓮院宮、十樂院宮、天王寺宮
二品、青蓮院門跡、天台座主
行圓親王(初名行仁) 十樂院宮
青蓮院
後宮 藤原瑛子 (西園寺實兼女)(文永9/1272 - 延元元/1336) 昭訓門院
准三宮
恒明親王 (乾元2/1303 - 正平6/1351) 常盤井宮
一品、式部卿
後宮 懌子内親王 (後嵯峨天皇皇女)(弘長2/1262 - 永仁2/1294) 五條院
准三宮
皇女某  
後宮 掄子女王 (宗尊親王女)(文永2/1265 - ?)
*のち後宇多天皇後宮
准三宮    
後宮 藤原禖子 (洞院實雄女)   理子内親王 (建治元/1275 - 弘安5/1282)  
後宮 源親子 (北畠師親女)
*のち後醍醐天皇後宮
民部卿三位 皇子某 尊珍親王と同一人の可能性あり
後宮 藤原壽子 (藤原景房女、西園寺公相養女)
*はじめ大宮院侍女
讃岐局
京極局
花園三位
叡雲親王(俗諱定良) 梶井
後宮 三條公親女   性惠親王 (文永6/1269 - ?) 綾小路宮、綾小路小坂殿
三品、妙法院
後宮 日野俊光女   寛尊親王(初名寛融) (乾元元/1302 - 弘和2/1382) 西院、大覚寺宮、天王寺宮
一品、大覚寺門跡、四天王寺別当
後宮 藤原雅藤女 民部卿局 道澄親王 法性寺座主
後宮 小倉公雄女   恒雲親王 小河宮、城興寺宮
梶井
後宮 藤原實任女   守良親王 五辻宮
四品、兵部卿
後宮 久我通能女
*はじめ京極院侍女
権大納言局 性覺親王 (文永4/1267 - 永仁5/1297) 狛宮
園城寺長吏
性融親王 安井宮、柞谷宮
僧正
後宮 某氏資子
*実録では源親子と同一人の可能性があるとする
  尊珍親王 (嘉元3/1305 - ?) 越前配流
准三宮、園城寺長吏
後宮 玄駒法師女(花山院通雅養女)
*はじめ安嘉門院女房の仕女
帥王殿
下野局
廊御方
兼良親王 (弘安9/1286 - 正応5/1292)  
後宮 某氏
*はじめ京極院雑仕
貫川 皇女某 (文永6/1269 - ?) 近衛家基室
後宮 某氏
*はじめ京極院の母・准三宮藤原貞子の女房
督局 道性 閼伽井宮、安井宮、寶池院僧正
醍醐寺座主
後宮 某氏
*はじめ安嘉門院女房
  尊誓 報恩寺宮
母未詳   益性親王 (? - 正平7/1352) 遍照寺宮、下河原宮
二品、仁和寺
皇女某 後醍醐天皇後宮
皇女某  
皇女某  
皇女某  
皇女某  
皇女某  
第九十一代天皇 後宇多天皇 (諱:世仁/亀山天皇第二皇子)(文永4(1267)年12月1日 - 元亨4(1324)年6月25日)(在位:文永11(1274)年1月26日 - 弘安10(1287)年10月21日)
典侍 藤原忠子 (藤原忠繼女、藤原師繼養女)(文永5/1268 - 元応元/1319) 談天門院
中納言典侍
准三宮
第一皇女 獎子内親王 (弘安9/1286 - 正平3/1348) 達智門院、尊称皇后
伊勢斎宮(1306-1308)
第二皇子 尊治親王 (正応元/1288 - 延元4/1339) 三品、後醍醐天皇
第三皇子 性圓親王 (正応5/1292 - 正平2/1347) 南池院宮
二品
第四皇子 承覺親王 (永仁2/1294 - ?) 西林井、菩提院宮、北白河宮、入江宮、壽量院
二品、天台座主
後宮 瑞子女王 (宗尊親王女)(文永10/1273 - 元徳元/1329) 永嘉門院
准三宮
   
後宮 源基子 (久我具守女、久我基具養女)(文永6/1269 - 正平10/1355) 西華門院
二條局
東御方
准三宮
第一皇子 邦治親王 (弘安8/1285 - 徳治3/1308) 後二條天皇
後宮 揄子女王 (宗尊親王女)(文永2/1265 - ?)
*はじめ亀山天皇後宮
准三宮 禖子内親王 崇明門院
准三宮、邦良親王妃
後宮 藤原長雅女   皇女某  
後宮 藤原宗親女   愉子内親王  
後宮 藤原實俊女
*のち後醍醐天皇後宮
一條局
遊義門院一條
第五皇子 性勝親王(初名良治) (? - 正平9/1354) 二品、大覚寺
後宮 某氏 新三位局 第六皇子 某 (徳治2/1307 - ?)  
後宮 姈子内親王 (後深草天皇皇女)(文永7/1270 - 徳治2/1307) 遊義門院    
尚侍 藤原頊子 (一條實經女)(文永5/1268 - 延元3/1338)
*実録では、頊子を後二條帝の后妃とするのは誤りであり、後宇多上皇後宮とする
萬秋門院
准三宮
   
第九十二代天皇 伏見天皇 (御名:煕仁/後深草天皇第二皇子)(文永2(1265)年4月23日 - 文保元(1317)年9月3日)(在位:弘安10(1287)年10月21日 - 永仁6(1298)年7月22日)
皇后 藤原鏱子 (西園寺實兼女)(文永8/1271 - 興国3/1342) 永福門院    
典侍 藤原經子 (五辻經氏女)(? - 元亨4/1324) 中園准后
中納言典侍
准三宮
第一皇子 胤仁親王 (弘安11/1288 - 延元元/1336) 後伏見天皇
掌侍 三善衡子 (三善俊衡女)(? - 興国3/1342) 播磨内侍 尊圓親王(俗諱尊彦) (永仁6/1298 - 正平11/1356) 大乘院宮
二品 (贈一品)、青蓮院門跡、天台座主
後宮 藤原季子 (洞院實雄女)(文永2/1265 - 建武3/1336) 顯親門院
准三宮
第一皇女 璹子内親王 (弘安10/1287 - 延慶3/1310) 朔平門院
准三宮
第二皇子 寛性親王(俗諱惟永) (正応2/1289 - 正平元/1346) 仁和寺宮、常瑜伽院
一品、仁和寺御室、惣法務
第三皇女 延子内親王 (正応4/1291 - ?) 延明門院
准三宮
第四皇子 富仁親王 (永仁5/1297 - 正平3/1348) 花園天皇
後宮 藤原守子 (正親町實明女、洞院公守養女)
*伏見上皇落飾後、後伏見上皇後宮
三條局
東御方
寛胤親王 (延慶2/1309 - 天授2/1376) 後安祥寺、小河宮
二品、勧修寺長吏、東大寺別当
*生母については異説あり
道煕親王 十樂院宮
後宮 藤原英子 (洞院公宗女)   第二皇女 譽子内親王 (? - 延元元/1336) 章義門院
准三宮
後宮 中院具氏女(北畠師親養女) 権大納言局 尊悟親王(俗諱吉永) (正安3/1301 - 正平14/1359) 円満院宮、後平等院宮
二品、園城寺長吏、四天王寺別当
後宮 高倉茂通女 春日局 尊煕親王  
後宮 法印任快女 治部卿局
春日局
第三皇子 惠助親王 (正応2/1289 - 嘉暦3/1328) 桂園院宮、聖護院宮
園城寺長吏
後宮 法印深源女 西御方 聖珍親王 (? - 弘和2/1382) 後菩提寺、東南院宮
二品、東大寺別当
母未詳   第四皇女 進子内親王 後伏見天皇皇女とする説あり
皇子某  
第九十三代天皇 後伏見天皇 (諱:胤仁/伏見天皇皇子)(弘安11(1288)年3月3日 - 延元元(1336)年4月6日)(在位:永仁6(1298)年7月22日 - 正安3(1301)年1月21日)
女御 藤原寧子 (西園寺公衡女)(正応5/1292 - 正平12/1357) 廣義門院
准三宮
珣子内親王 (延慶4/1311 - 延元2/1337) 新室町院
一品、後醍醐天皇皇后
第三皇子 量仁親王 (正和2/1313 - 正平19/1364) 光嚴天皇、天野殿
第五皇子 景仁親王 (正和4/1315 - ?)  
皇女某 (文保3/1319 - 元応元/1331)  
第九皇子 豐仁親王 (元亨元/1321 - 天授6/1380) 光明天皇、宇治殿
流産 (元弘元/1331)  
後宮 藤原守子 (正親町實明女、洞院公守養女)(? - 元亨2/1322)
*はじめ伏見天皇後宮
三條局
東御方
流産 (正和4/1315)  
第六皇子 承胤親王 (文保元/1317 - 天授3/1377) 光聚院宮
二品、梨本門跡、天台座主
長助親王 (文保2/1318 - 正平16/1361) 法禅院
園城寺長吏
亮性親王 (文保2/1318 - 正平18/1363) 妙法院宮
二品、天台座主
璜子内親王 章徳門院
准三宮
流産 (元亨2/1322)  
後宮 正親町實明女 (? - 建徳3/1372) 對御方 第四皇子 尊實親王(初名慈眞) (正和3/1314 - ?) 妙香院宮
第十皇子 尊道親王(俗諱尊省) (元弘2/1332 - 応永10/1403) 妙香院宮、後青龍院
一品、青蓮院門跡、天台座主
覺公 (建武2/1335 - 応永30/1423) 尼僧
後宮 高階邦子 (高階邦經女) 堀川局
別當局
第二皇子 法守親王(俗諱寧永) (徳治3/1308 - 元中8/1391) 禅河院御室
一品、仁和寺御室
後宮 法印泰豪女 治部卿局 第一皇子 尊胤親王 (徳治元/1306 - 正平14/1359) 梶井宮
二品、天台座主
後宮 某氏行保女 右京大夫局 皇女某 (元亨2/1322 - ?)  
皇女某  
第九十四代天皇 後二條天皇 (諱:邦治/後宇多天皇第一皇子)(弘安8(1285)年2月2日 - 徳治3(1308)年8月25日)(在位:正安3(1301)年1月21日 - 徳治3(1308)年8月25日)
皇后 藤原忻子 (徳大寺公孝女)(弘安6/1283 - 正平7/1352) 長樂門院    
典侍 藤原宗子 (五辻宗親女) 中納言典侍 第一皇子 邦良親王(初名惟善) (正安2/1300 - 正中3/1326) 木寺宮
後醍醐天皇皇太子
第二皇子 邦省親王 (正安4/1302 - 天授元/1375) 花町殿
三品?、式部卿
掌侍 平棟俊女 勾當内侍 㛹子内親王 (乾元元/1302 - 正平17/1362) 壽成門院
准三宮
後宮 三條公親女
*長樂門院に侍し御匣殿となる
  第五皇子 尊濟親王(初名永尊) (嘉元2/1304 - 元徳元/1329) 常喜院宮
一身阿闍梨、円満院
後宮 三條公泰女   第三皇子 祐助親王 (正安4/1302 - 正平14/1359) 桂林院宮
天台座主
第四皇子 聖尊親王 (嘉元元/1303 - 建徳元/1370) 遍智院宮
権僧正、三宝院
*三條公親女所生説あり
榮子内親王  
皇女某  
後宮 平信輔女   瑒子内親王  
後宮 法眼良珍女 新大納言局 珉子内親王  
第九十五代天皇 花園天皇 (諱:富仁/伏見天皇皇子)(永仁5(1297)年7月25日 - 正平3/貞和4(1348)年11月11日)(在位:徳治3(1308)年8月26日 - 文保2(1318)年2月26日)
典侍 藤原頼子 (葉室頼任女) 別當典侍
中納言局
皇女某  
後宮 藤原實子 (正親町實明女、洞院公守養女)(永仁5/1297 - 正平15/1360) 宣光門院
南御方
准三宮
壽子内親王 (文保2/1318 - 正平13/1358) 徽安門院
准三宮、光厳天皇後宮
源性親王(俗諱業永) (嘉暦2/1327 - 正平8/1353) 仁和寺
直仁親王 (建武2/1335 - 応永5/1398) 萩原宮
崇光天皇皇太子
*光嚴院宸翰御置文によると実は光嚴天皇の皇子
儀子内親王  
皇子某 聖護院
皇女某 花山院某室
後宮 正親町實明女 (? - 正中2/1325) 一條局 覺譽親王(俗諱光有) (元応2/1320 - 弘和2/1382) 二品、園城寺長吏、四天王寺別当
母未詳   祝子内親王 三宝院本帝王系図は母を冷泉局とする
第九十六代天皇 後醍醐天皇 (諱:尊治/後宇多天皇第二皇子)(正応元(1288)年11月2日 - 延元4(1339)年8月16日)(在位:文保2(1318)年2月26日 - 延元4(1339)年8月15日)
皇后 藤原禧子 (西園寺實兼女)(嘉元元/1303 - 元弘3/1333) 禮成門院 (廃)
後京極院
皇女某 (正和3/1314 - ?)  
懽子内親王 (正和4/1315 - 正平17/1362) 宣政門院、光嚴天皇後宮
一品、准三宮、伊勢斎宮(1330-1331)
皇后 珣子内親王 (後伏見天皇皇女)(延慶4/1311 - 延元2/1337) 新室町院 皇女某 (建武2/1335 - ?) *南朝皇胤紹運録は幸子内親王とする
女御 藤原榮子 (二條道平女) 安福殿女御    
典侍 藤原親子 (花山院宗親女) 中納言典侍局 満良親王 花園宮
掌侍 菅原在仲女 少将内侍 聖助親王 聖護院
掌侍 某氏經朝女
*のち源具行室
勾當内侍 皇女某  
後宮 藤原廉子 (阿野公廉女、洞院公賢養女)(正安3/1301 - 正平14/1359)
*はじめ皇后禧子の上臈
新待賢門院
三位局
准三宮
皇太后
祥子内親王 伊勢斎宮(1333-1334)
恒良親王 (正中2/1325 - 延元3/1338) 後醍醐天皇皇太子
成良親王 (嘉暦元/1326 - 興国5/1344) 光明天皇皇太子(廃)
四品、上野太守、征夷大将軍
義良親王(初名憲良) (嘉暦3/1328 - 正平22/1367) 三品、後村上天皇
惟子内親王  
後宮 源親子 (北畠師親女)
*はじめ亀山天皇後宮、皇后禧子侍女
民部卿三位 護良親王 (延慶元/1308 - 建武2/1335) 大塔宮
はじめ梶井承覺親王の室に入り落飾 (法諱尊雲)、
天台座主となるが、のち復飾
二品、兵部卿、征夷大将軍
姚子内親王  
皇子某  
皇女某 近衞基嗣室
後宮 藤原為子 (藤原為世女) 権大納言局
権大納言の君
尊良親王 (応長元/1311 - 延元2/1337) 一品、中務卿
宗良親王 (正和元/1312 - 元中2/1385?) 妙法院宮、上野親王、信濃宮、冷湛寺宮
はじめ妙法院に入り落飾 (法諱尊澄)、
天台座主となるが、のち復飾
一品、中務卿、征夷大将軍
瓊子内親王 (正和5/1316 - 延元4/1339) 安養比丘尼
後宮 藤原實子 (洞院實雄女)   皇女某  
後宮 藤原守子 (洞院實泰女)   玄圓親王 (? - 正平3/1348)  
後宮 亀山天皇皇女   恒性 (? - 元弘3/1333) 越中宮
大覺寺
後宮 靈照院 藤原為道女 (? - 正平6/1351)
*はじめ皇后禧子の宣旨
宣旨三位殿
権大納言三位局
法仁親王(俗諱躬良) (正中2/1325 - 正平7/1352) 二品、六勝寺検校
懐良親王 (? - 弘和3/1383) 阿蘇宮、鎮西宮、筑後宮
一品、征西大将軍、式部卿
皇女某  
後宮 藤原實俊女
*はじめ後宇多天皇後宮
一條局
遊義門院一條
世良親王 (? - 元徳2/1330) 河端宮
贈一品、太宰帥
欣子内親王  
惠尊親王(初名靜尊) 聖護院
後宮 四條隆資女 少納言内侍 尊眞 醍醐宮
後宮 西園寺實明女 大納言局 皇女某  
後宮 源基時女   皇女某  
後宮 某氏
*はじめ昭訓門院侍女
近衞局
昭訓門院近衞
皇子某  
後宮 某氏為忠女
*はじめ遊義門院侍女
左衛門督局 皇女某  
後宮 某氏 権中納言局 皇女某 *南朝皇胤紹運録は貞子内親王とする
後宮 某氏 坊門局 皇女某  
母未詳   無文元選 (元亨3/1323 - 元中7/1390) *生母については諸説あり
用堂 尼僧
   
   
  後二條天皇第一皇子・邦良親王家
 
木寺宮 邦良親王 (正安2(1300)年 - 正中3(1348)年3月20日)
妃 禖子内親王 (後宇多天皇皇女) 崇明門院
准三宮
流産 (元亨4/1324)  
妃 中院通重女   王子某  
室 花山院定教女   康仁親王 (元応2/1320 - 正平10/1355) 木寺宮、禅林寺宮
光厳天皇皇太子(廃)、中務卿
邦世親王 (元亨2/1322 - 正平20/1365) 兵部卿
王子某  
室 源重子 (北畠師重女)   王女某  
室 宮僧正俊覺女   弘覺 大金剛院宮
室 某氏 尾張局 深守親王 (元亨3/1323 - 元中8/1391) 大金剛院、法界身院
二品、権僧正
媋子内親王  
王子某  
王女某  
   

 

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