第九十七代 後村上天皇 (諱:義良/後醍醐天皇皇子)(嘉暦3(1328)年 - 正平23(1368)年3月11日)(在位:延元4(1339)年8月15日 - 正平23(1368)年3月11日) |
女御 藤原氏
*出自諸説あり |
嘉喜門院 |
寛成親王 (興国4/1343 - 応永元/1394) |
長慶天皇 |
煕成親王 (? - 応永31/1424) |
後亀山天皇 |
母未詳 |
|
惟成親王 (? - 応永30/1423) |
二品、中務卿
*南朝皇胤紹運録は生母を大蔵卿師治朝臣女とする |
師成親王 (正平16/1361 - ?) |
兵部卿
*南朝皇胤紹運録は生母を同惟成とする |
泰成親王 |
後亀山天皇皇太子
*南朝皇胤紹運録は生母を同後亀山院とする |
説成親王 |
上野宮、福御所、五常院宮
上野太守 |
良成親王 |
鎮成宮
*南朝皇胤紹運録は生母を同説成とする |
皇女某 |
新宣陽門院
一品
*南朝皇胤紹運録は憲子内親王とする、生母は嘉喜門院か |
第九十八代 長慶天皇 (諱:寛成/後村上天皇皇子)(興国4(1343)年 - 応永元(1394)年8月1日)(在位:正平23(1368)年3月 - 弘和3(1383)年冬) |
皇后 某氏 |
|
|
|
後宮 藤原教子 |
|
世泰親王 |
|
母未詳 |
|
承朝 (文中3/1374 - 嘉吉3/1443) |
寶智圓明禅師
南禅寺住職 |
尊聖 (天授元/1375 - 永享4/1432) |
佐山宮
勧修寺長吏、大僧正 |
行悟 (天授3/1377 - 応永13/1406) |
後圓満院
園城寺長吏、四天王寺別当 |
皇子某 |
玉河宮 |
第九十九代 後亀山天皇 (諱:煕成/後村上天皇皇子)(? - 応永31(1424)年4月12日)(在位:弘和3(1383)年冬 - 元中9(1392)年閏10月5日) |
母未詳 |
|
恒教 |
小倉宮 |
第百代 後小松天皇 (諱:幹仁/北朝第五代後圓融天皇第一皇子)(天授3/永和3(1377)年6月27日 - 永享5(1433)年10月20日)(在位:弘和2/永徳2(1382)年4月11日 - 応永19(1412)年8月29日) |
典侍 藤原資子 (日野西資國女、日野資教養女)(元中元/1384 - 永享12/1440) |
光範門院
新典侍
二位殿
准三宮 |
第二皇子 實仁親王(初名躬仁) (応永8/1401 - 正長元/1428) |
稱光天皇 |
第三皇子 某 (応永11/1404 - 応永32/1425) |
小川宮、龍樹寺宮
稱光天皇儲君 |
理永 (応永15/1408 - ?) |
大聖寺喝食 |
典侍 藤原經子 (甘露寺兼長女)
*応永31(1424)年密通により懐妊し出奔 |
大納言典侍 |
|
|
後宮 藤原氏 |
|
第一皇子 宗純 (明徳5/1394 - 文明13/1481) |
一休宗純
大徳寺住職 |
後宮 土岐某女 |
小兵衛局 |
某 (応永19/1412 - ?) |
*実録は便宜上皇女として掲記するが男女の別は不明 |
後宮 日野西資國女 |
|
|
|
後宮 白川資忠女 |
大納言局 |
懐妊? (正長2/1429) |
|
第百一代 稱光天皇 (御名:實仁/後小松天皇第二皇子)(応永8(1401)年3月29日 - 正長元(1428)年7月20日)(在位:応永19(1412)年8月29日 - 正長元(1428)年7月20日) |
典侍 藤原光子 (日野有光女) |
大納言典侍 |
流産 (応永32/1425) |
|
掌侍 五辻朝仲女 |
新内侍 |
第一皇女 某 (応永25/1418) |
認知されず |
後宮 持明院基親女(和氣郷成養女) |
伊與局
別當局 |
第二皇女 某 (応永33/1426) |
|
後宮 鴨佑有女 |
紀伊局 |
|
|
第百二代 後花園天皇 (諱:彦仁/伏見宮貞成親王第一子)(応永26(1419)年6月18日 - 文明2(1470)年12月27日)(在位:正長元(1428)年7月28日 - 寛正5(1464)年7月19日) |
典侍 藤原郷子(初名數子) (日野秀光女、日野兼郷養女) |
大納言典侍
権典侍
新典侍 |
第二皇女 某 (文安5/1448 - 文明14/1482) |
眞乘寺宮 |
後宮 藤原信子(初名郷子) (藤原孝長女、大炊御門信宗養女)(応永18/1411 - 長享2/1488) |
嘉樂門院
伊豫局
二位局
東洞院殿
准三宮 |
第一皇女 觀心 (永享6/1434 - 延徳2/1490) |
安禅寺殿
安禅寺喝食 (名字惠春、道号芳苑) |
第一皇子 成仁親王 (嘉吉2/1442 - 明応9/1500) |
後土御門天皇 |
第百三代 後土御門天皇 (諱:成仁/後花園天皇皇子)(嘉吉2(1442)年5月25日 - 明応9(1500)年9月28日)(在位:寛正5(1464)年7月19日 - 明応9(1500)年9月28日) |
典侍 源朝子 (庭田長賢女)(永享9/1437 - 明応元/1492) |
近衛局
新大典侍
三位局
准三宮
贈皇太后 |
第一皇子 勝仁親王 (寛正5/1464 - 大永6/1526) |
後柏原天皇 |
第二皇子 尊傳親王(俗諱尊敦) (文明4/1472 - 文亀4/1504) |
不遠院宮
青蓮院 |
第三皇子 某 (文明7/1475) |
|
典侍 藤原房子 (勧修寺教秀女) |
新大納言局
新典侍局
新大典侍殿 |
第四皇女 某 (文明17/1485) |
|
第五皇女 智圓 (文明18/1486 - 永正10/1513) |
安禅寺宮 |
第六皇女 理秀 (延徳元/1489 - ?) |
大慈院宮 |
後宮 藤原兼子 (花山院持忠女)
*はじめ足利義政室日野富子の侍女 |
上臈局
東御方 |
第二皇女 某 (文明5/1473 - 天文2/1533) |
保安寺宮 |
第三皇女 應善 (文明8/1476 - 明応6/1497) |
安禅寺宮
安禅寺喝食 (名字惠仙) |
第四皇子 仁悟親王(初名仁尊) (文明14/1482 - 永正12/1515) |
圓満院宮
二品 (贈一品)、園城寺長吏 |
第五皇子 某 (文明16/1484 - 明応3/1494) |
下河原殿、法蓮院宮 |
母未詳 |
|
第一皇女 某 |
大慈光院宮、岡殿 |
第百四代 後柏原天皇 (諱:勝仁/後土御門天皇第一皇子)(寛正5(1464)年10月20日 - 大永6(1526)年4月7日)(在位:明応9(1500)年10月25日 - 大永6(1526)年4月7日) |
典侍 藤原藤子 (勧修寺教秀女)(寛正5/1464 - 天文4/1535) |
豊樂門院
御阿茶之局
新大典侍局
新大納言典侍
勧修寺局
東洞院殿
准三宮 |
第一皇女 覺鎮 (文明18/1486 - 天文19/1550) |
大聖寺宮 |
第一皇子 某 (明応2/1493) |
|
第二皇子 知仁親王 (明応5/1496 - 弘治3/1557) |
後奈良天皇 |
第五皇子 尊鎮親王(初名尊猷、俗諱清彦) (永正元/1504 - 天文19/1550) |
青蓮院宮、桂蓮院宮
天台座主、四天王寺別当 |
典侍 源源子 (庭田雅行女)(文明11/1479 - 大永6/1526) |
御愛局
新典侍局 |
第三皇子 覺道親王 (明応9/1500 - 大永7/1527) |
仁和寺宮、後禅河院、後法金剛院
二品、仁和寺御室 |
第二皇女 覺音 (永正3/1506 - ?) |
大慈光院殿、岡殿 |
第六皇子 彦胤親王(俗諱寛恒) (永正6/1509 - 天文9/1540) |
梶井宮、後菩提院宮 |
掌侍 藤原繼子 (高倉永繼女)(文明12/1480 - 大永7/1527) |
|
第四皇子 道喜 (文亀3/1503 - 享禄3/1530) |
上乘院宮、下河原殿
大僧正 |
掌侍 某氏夏子 (寛正3/1462 - 明応6/1497) |
右衛門掌侍
右衛門内侍 |
懐妊 (明応6/1497) |
|
第百五代 後奈良天皇 (諱:知仁/後柏原天皇第二皇子)(明応5(1496)年12月23日 - 弘治3(1557)年9月5日)(在位:大永6(1526)年4月29日 - 弘治3(1557)年9月5日) |
典侍 藤原國子 (廣橋兼秀女)(大永4/1524 - 弘治3/1557) |
目々典侍
権大納言典侍
廣橋局 |
第八皇女 聖秀 (天文21/1552 - 元和9/1623) |
曇華院殿 |
典侍 藤原量子 (橘以緒女、高倉永家養女) |
新内侍
藤内侍 |
第五皇女 普光 (天文6/1537 - 永禄4/1561) |
安禅寺殿 |
後宮 藤原榮子 (萬里小路賢房女)(? - 大永2/1522) |
吉徳門院
御阿茶局
贈皇太后 |
第一皇女 某 (永正11/1514 - 永正12/1515) |
|
第二皇子 方仁親王 (永正14/1517 - 文禄2/1593) |
正親町天皇 |
第二皇女 永壽 (永正16/1519 - 天文4/1535) |
大祥寺殿、眞淨院宮 |
第三皇子 某 (大永元/1521 - 享禄3/1530) |
|
後宮 小槻晴富女 (明応6/1497 - 永禄元/1558) |
伊豫局
三位局 |
第一皇子 覺恕 (永正12/1515 - 天正2/1574) |
曼殊院宮、竹内殿、金蓮院准后
准三宮、天台座主 |
後宮 持明院基春女
*後奈良天皇の後宮に列すること疑義あり |
御愛 |
第三皇女 某 (永正17/1520) |
|
第四皇女 某 (永正17/1520 - ?) |
*第三皇女と双子 |
後宮 恒直親王女 |
常盤院上臈 |
第七皇女 春齢 (天文18/1549 - 永禄12/1569) |
大祥寺殿 |
後宮 某氏 |
上臈局 |
第六皇女 某 (天文12/1543 - ?) |
|
第百六代天皇 正親町天皇 (諱:方仁/後奈良天皇第二皇子)(永正14(1517)年5月29日 - 文禄2(1593)年1月5日)(在位:弘治3(1557)年10月27日 - 天正14(1586)年11月7日) |
典侍 清光院 藤原房子 (万里小路秀房女)(? - 天正8/1580) |
御阿子
新大典侍殿
贈准三宮 |
第二皇女 永高 (天文9/1540 - 天文20/1551) |
大祥寺殿御喝食御所 |
第三皇女 某 (天文12/1543 - ?) |
|
第一皇子 誠仁親王 (天文21/1552 - 天正14/1586) |
陽光院
三品、贈太上天皇(後陽成天皇の父) |
典侍 飛鳥井雅綱女
*永禄10(1567)年密かに後宮を出て逐電 |
目々典侍 |
第四皇女 某 (永禄5/1562 - 永禄10/1567) |
|
典侍 萬里小路賢房女 |
御伊茶
大典侍 |
第一皇女 某 (天文8/1539 - 天文12/1543) |
|
第百七代天皇 後陽成天皇 (諱:周仁/陽光院誠仁親王第一皇子)(元亀2(1571)年12月15日 - 元和3(1617)年8月26日)(在位:天正14(1586)年11月7日 - 慶長16(1611)年3月27日) |
女御 藤原前子 (近衞前久女、豊臣秀吉養女)(天正3/1575 - 寛永7/1630) |
中和門院
准三宮 |
第一皇女 聖興 (天正18/1590 - 文禄3/1594) |
瑞雲
曇華院喝食 |
第二皇女 文高女王(初名惠仙) (天正20/1592 - 寛永21/1644) |
女二宮、君山、大聖寺殿、東御所、天祥院
景愛寺住職、三時智恩寺兼帯 |
第三皇女 C子内親王 (文禄2/1593 - 延宝2/1674) |
女三宮、大鑑院
准三宮、鷹司信尚室 |
第三皇子 政仁親王 (文禄5/1596 - 延宝8/1680) |
二品、後水尾天皇 |
第四皇女 尊英 (慶長3/1598 - 慶長16/1611) |
正受院、松山、光照院殿御喝食御所
光照院相続 |
第四皇子 近衞信尋 (慶長4/1599 - 慶安2/1649) |
二宮、本源自性院
近衞家相続、関白左大臣 |
第七皇子 好仁親王(初名齊祐) (慶長8/1603 - 寛永15/1638) |
七宮 のち三宮、聖護院宮、高松宮、永照院
高松宮家創設 (のちの有栖川宮家)
弾正尹 (当初聖護院相続予定だったがとりやめ) |
第九皇子 一條昭良(初名兼遐) (慶長10/1605 - 寛文12/1672) |
九宮、智徳院殿
一條家相続、関白左大臣 |
第五皇女 貞子内親王 (慶長12/1607 - 延宝3/1675) |
斎宮、貞了院
二條康道室 |
第十皇子 尊覺親王(俗諱庶愛) (慶長13/1608 - 寛文元/1661) |
十宮、一乘院殿、明了院
二品、一乘院門跡、興福寺別当 |
典侍 藤原輝子 (日野輝資女)(天正9/1581 - 慶長12/1607) |
権典侍
藤大典侍局 |
第五皇子 尊性親王(俗諱毎敦) (慶長7/1602 - 慶安4/1651) |
五宮、大覚寺宮、佛母心寺
二品、大覚寺門跡、東寺長者 |
典侍 藤原親子 (中山親綱女)(天正4/1576 - 慶長13/1608)
*のち禁裏を退出 |
大典侍局
大すけ殿 |
第一皇子 覺深親王(俗諱良仁) (天正16/1588 - 正保5/1648) |
若宮、ひがしの御所、仁和寺殿、後南御室
一品、仁和寺御室 |
第二皇子 承快親王 (天正19/1591 - 慶長14/1609) |
二宮、七條殿、梶井殿、實性院
梶井門跡 |
典侍 高珠院 源具子 (庭田重具女)(? - 寛永3/1626) |
権典侍
源大典侍局 |
第八皇子 良純親王(俗諱直輔) (慶長8/1603 - 寛文9/1669) |
八宮
二品、知恩院門跡
勅勘を蒙り配流、のち還俗して以心庵と号す |
典侍 藤原宣子 (葉室頼宣女)(? - 延宝7/1679) |
目々典侍
一對局 |
尊C(初名尊嚴) (慶長18/1613 - 寛文9/1669) |
才宮、崇山玉譽
光照院入室 |
掌侍 了性院 藤原孝子(基子) (持明院基孝女)(? - 寛永21/1644)
*のち勅勘を蒙り御暇を賜る |
新内侍
長橋局
勾當内侍 |
第六皇子 堯然親王(俗諱常嘉) (慶長7/1602 - 寛文元/1661) |
六宮、妙法院宮、慈音院
二品、妙法院門跡、天台座主 |
掌侍 本光院 平時子 (西洞院時慶女)(? - 寛文元/1661)
*慶長15(1610)年御暇を賜る |
新内侍局
平内侍
勘解由小路局 |
第六皇女 永宗女王(初名永崇) (慶長14/1609 - 元禄3/1690) |
アテノ宮、大しゃう寺殿、陽徳院殿
大聖寺寺務 |
第十一皇子 某 (慶長15/1610 - 慶長17/1612) |
高雲院 |
後宮 法誓院 清原胤子 (清原胤榮女)(天正11/1853 - 明暦4/1658)
*はじめ足利義廣の妻 |
御茶々
三位局 |
第十二皇子 某 (慶長16/1611) |
冷雲院 |
第十三皇子 道晃親王 (慶長17/1612 - 延宝7/1679) |
吉宮、聖護院宮、照高院宮、遍照寺宮
二品、園城寺長吏 |
皇女某 (慶長18/1613) |
空華院 |
後宮 寶珠院 中東時廣女 (? - 延宝8/1680) |
土佐局
春日殿 |
第十四皇子 道周親王 (慶長18/1613 - 寛永11/1634) |
足宮、照高院宮、興善寺
二品 |
第十五皇子 慈胤親王(俗諱幸勝) (元和3/1617 - 元禄12/1699) |
清宮、梶井宮、常修院宮
二品、梶井門跡、天台座主 |