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<皇太子・儲君一覧> |
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儲君とは、将来的に天皇位に即位する見込みの皇子を指す語です。
室町時代から江戸時代初期にかけては天皇家の窮乏等もあって立太子の儀式が途絶えており、東宮の存在しない時期が長く続きますが、"儲君"が事実上の皇太子を指す語として使われました。
現代に置き換えると「皇嗣殿下」みたいな…
慣例的に使われていたものですが、江戸時代、霊元天皇皇子の朝仁親王(のちの東山天皇)に「儲君治定」という形で宣賜してからは、大正天皇にいたるまで、立太子前に必ず儲君治定が行われるようになりました。
※ちなみに「御継体(宮)」もだいたい同じような意味合いです。
践祚について、平城天皇から種別を記載しています。受禅践祚:譲位による代替わり、諒闇践祚:先帝崩御による代替わり、です。
先帝が廃位されたケース(南北朝あたり)は践祚とのみ記しています。あと後鳥羽天皇は安徳天皇と在位が重複するので、こちらも践祚とのみ記しています。 |
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飛鳥・奈良時代 |
諱 |
出自 |
儲君治定 |
立太子 |
辞退/廃太子/薨去 |
践祚 |
備考 |
厩戸豐聰耳皇子(聖徳太子) |
用明天皇皇子 |
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推古元(593)年4月10日 |
推古30(622)年2月22日薨去 |
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葛城皇子(天智天皇) |
舒明天皇皇子 |
- |
皇極4(645)年6月14日 |
- |
天智7(668)年1月3日 |
斉明7年より称制 |
大海人皇子(天武天皇) |
舒明天皇皇子 |
- |
天智7(668)年2月23日 |
天智10(671)年10月19日辞退 |
天武2(673)年2月27日 |
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大友皇子(弘文天皇) |
天智天皇皇子 |
- |
天智10(671)年10月 |
- |
天智10(671)年12月5日 |
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草壁皇子 |
天武天皇皇子 |
- |
天武10(681)年2月25日 |
持統3(689)年4月13日薨去 |
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珂瑠皇子(文武天皇) |
草壁皇子皇子 |
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持統11(697)年2月16日 |
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文武元(697)年8月1日 |
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首親王(聖武天皇) |
文武天皇皇子 |
- |
和銅7(714)年6月25日 |
- |
神亀元(724)年2月4日 |
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某王 |
聖武天皇皇子 |
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神亀4(727)年11月2日 |
神亀5(728)年9月13日薨去 |
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阿倍内親王(孝謙・稱徳天皇) |
聖武天皇皇女 |
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天平10(738)年1月13日 |
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天平勝宝元(749)年7月2日 |
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道祖王 |
新田部親王王子 |
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天平勝宝8(756)年5月2日 |
天平勝宝9(757)年3月29日廃太子 |
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大炊王(淳仁天皇) |
舎人親王王子 |
- |
天平勝宝9(757)年4月4日 |
- |
天平宝字2(758)年8月1日 |
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白壁王(光仁天皇) |
施基親王王子 |
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神護景雲4(770)年8月4日 |
- |
宝亀元(770)年10月1日 |
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他戸親王 |
光仁天皇皇子 |
- |
宝亀2(771)年1月23日 |
宝亀3(772)年5月27日廃太子 |
- |
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山部親王(桓武天皇) |
光仁天皇皇子 |
- |
宝亀4(773)年1月2日 |
- |
天応元(781)年4月3日 |
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平安前期 |
諱 |
出自 |
儲君治定 |
立太子 |
辞退/廃太子/薨去 |
践祚 |
備考 |
早良親王 |
光仁天皇皇子 |
- |
天応元(781)年4月4日 |
延暦4(785)年9月廃太子 |
- |
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安殿親王(平城天皇) |
桓武天皇皇子 |
- |
延暦4(785)年11月25日 |
- |
大同元(806)年3月17日諒闇践祚 |
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神野親王(嵯峨天皇) |
桓武天皇皇子 |
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大同元(706)年5月19日皇太弟 |
- |
大同4(809)年4月1日受禅践祚 |
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高丘親王 |
平城天皇皇子 |
- |
大同4(809)年4月14日 |
弘仁元(810)年9月13日廃太子 |
- |
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大伴親王(淳和天皇) |
桓武天皇皇子 |
- |
弘仁元(810)年9月13日皇太弟 |
- |
弘仁14(823)年4月16日受禅践祚 |
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恒世親王 |
淳和天皇皇子 |
- |
弘仁14(823)年4月18日 |
弘仁14(823)年4月18日即日辞退 |
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正良親王(仁明天皇) |
嵯峨天皇皇子 |
- |
弘仁14(823)年4月18日 |
- |
天長10(833)年2月28日受禅践祚 |
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恒貞親王 |
淳和天皇皇子 |
- |
天長10(833)年2月30日 |
承和9(842)年7月23日廃太子 |
- |
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道康親王(文徳天皇) |
仁明天皇皇子 |
- |
承和9(842)年8月4日 |
- |
嘉祥3(850)年3月21日諒闇践祚 |
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惟仁親王(清和天皇) |
文徳天皇皇子 |
- |
嘉祥3(850)年11月25日 |
- |
天安2(858)年8月27日諒闇践祚 |
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貞明親王(陽成天皇) |
清和天皇皇子 |
- |
貞観11(869)年2月1日 |
- |
貞観18(876)年11月29日受禅践祚 |
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平安中期 |
諱 |
出自 |
儲君治定 |
立太子 |
辞退/廃太子/薨去 |
践祚 |
備考 |
定省親王(宇多天皇) |
光孝天皇皇子 |
- |
仁和3(887)年8月26日 |
- |
仁和3(887)年8月26日諒闇践祚 |
立太子当日践祚 |
敦仁親王(醍醐天皇) |
宇多天皇皇子 |
- |
寛平5(893)年4月2日 |
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寛平9(897)年7月3日受禅践祚 |
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保明親王(崇象親王) |
醍醐天皇皇子 |
- |
延喜4(904)年2月10日 |
延喜23(923)年3月21日薨去 |
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慶頼王 |
保明親王王子 |
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延喜23(923)年4月29日 |
延長3(925)年6月19日薨去 |
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寛明親王(朱雀天皇) |
醍醐天皇皇子 |
- |
延長3(925)年10月21日 |
- |
延長8(930)年9月22日受禅践祚 |
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成明親王(村上天皇) |
醍醐天皇皇子 |
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天慶7(944)年4月22日皇太弟 |
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天慶9(946)年4月20日受禅践祚 |
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憲平親王(冷泉天皇) |
村上天皇皇子 |
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天暦4(950)年7月23日 |
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康保4(967)年5月25日諒闇践祚 |
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守平親王(圓融天皇) |
村上天皇皇子 |
- |
康保4(967)年9月1日皇太弟 |
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安和2(969)年8月13日受禅践祚 |
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師貞親王(花山天皇) |
冷泉天皇皇子 |
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安和2(969)年8月13日 |
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永観2(984)年8月27日受禅践祚 |
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懐仁親王(一條天皇) |
圓融天皇皇子 |
- |
永観2(984)年8月27日 |
- |
寛和2(986)年6月23日受禅践祚 |
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居貞親王(三條天皇) |
冷泉天皇皇子 |
- |
寛和2(986)年7月16日 |
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寛弘8(1011)年6月13日受禅践祚 |
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敦成親王(後一條天皇) |
一條天皇皇子 |
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寛弘8(1011)年6月13日 |
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長和5(1016)年1月29日受禅践祚 |
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敦明親王(小一條院) |
三條天皇皇子 |
- |
長和5(1016)年1月29日 |
寛仁元(1017)年8月9日辞退 |
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敦良親王(御朱雀天皇) |
一條天皇皇子 |
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寛仁元(1017)年8月9日皇太弟 |
- |
長元9(1036)年4月17日受禅践祚 |
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親仁親王(後冷泉天皇) |
御朱雀天皇皇子 |
- |
長暦元(1037)年8月17日 |
- |
寛徳2(1045)年1月16日受禅践祚 |
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尊仁親王(後三條天皇) |
御朱雀天皇皇子 |
- |
寛徳2(1045)年1月16日 |
- |
治暦4(1068)年4月19日諒闇践祚 |
皇太弟の可能性あり |
貞仁親王(白河天皇) |
後三條天皇皇子 |
- |
延久元(1069)年4月28日 |
- |
延久4(1072)年12月8日受禅践祚 |
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實仁親王 |
後三條天皇皇子 |
- |
延久4(1072)年12月8日 |
応徳2(1085)年11月8日薨去 |
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皇太弟の可能性あり |
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平安後期 |
諱 |
出自 |
儲君治定 |
立太子 |
辞退/廃太子/薨去 |
践祚 |
備考 |
善仁親王(堀河天皇) |
白河天皇皇子 |
- |
応徳3(1086)年11月26日 |
- |
応徳3(1086)年11月26日受禅践祚 |
立太子当日践祚 |
宗仁親王(鳥羽天皇) |
堀河天皇皇子 |
- |
康和5(1103)年8月17日 |
- |
嘉承2(1107)年7月19日諒闇践祚 |
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顯仁親王(崇徳天皇) |
鳥羽天皇皇子 |
- |
保安4(1123)年1月28日 |
- |
保安4(1123)年1月28日受禅践祚 |
立太子当日践祚 |
體仁親王(近衞天皇) |
鳥羽天皇皇子 |
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保延5(1139)年8月17日皇太弟 |
- |
永治元(1141)年12月7日受禅践祚 |
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守仁親王(二條天皇) |
後白河天皇皇子 |
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久寿2(1155)年9月23日 |
- |
保元3(1158)年8月11日受禅践祚 |
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順仁親王(六條天皇) |
二條天皇皇子 |
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永万元(1165)年6月25日 |
- |
永万元(1165)年6月25日受禅践祚 |
立太子当日践祚 |
憲仁親王(高倉天皇) |
後白河天皇皇子 |
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仁安元(1166)年10月10日 |
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仁安3(1168)年2月19日受禅践祚 |
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言仁親王(安徳天皇) |
高倉天皇皇子 |
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治承2(1178)年12月15日 |
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治承4(1180)年2月21日受禅践祚 |
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鎌倉時代 |
諱 |
出自 |
儲君治定 |
立太子 |
辞退/廃太子/薨去 |
践祚 |
備考 |
守成親王(順徳天皇) |
後鳥羽天皇皇子 |
- |
正治2(1200)年4月15日 |
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承元4(1210)年11月25日受禅践祚 |
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懐成親王(仲恭天皇) |
順徳天皇皇子 |
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建保6(1218)年11月26日 |
- |
承久3(1221)年4月20日受禅践祚 |
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秀仁親王(四條天皇) |
御堀河天皇皇子 |
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寛喜3(1231)年10月28日 |
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貞永元(1232)年10月4日受禅践祚 |
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久仁親王(後深草天皇) |
後嵯峨天皇皇子 |
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寛元元(1243)年8月10日 |
- |
寛元4(1246)年1月29日受禅践祚 |
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恒仁親王(亀山天皇) |
後嵯峨天皇皇子 |
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正嘉2(1258)年8月7日皇太弟 |
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正元元(1259)年11月26日受禅践祚 |
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世仁親王(後宇多天皇) |
亀山天皇皇子 |
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文永5(1268)年8月25日 |
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文永11(1274)年1月26日受禅践祚 |
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煕仁親王(伏見天皇) |
後深草天皇皇子 |
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建治元(1275)年11月5日 |
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弘安10(1287)年10月21日受禅践祚 |
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胤仁親王(後伏見天皇) |
伏見天皇皇子 |
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正応2(1289)年4月25日 |
- |
永仁6(1298)年7月22日受禅践祚 |
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邦治親王(後二條天皇) |
後宇多天皇皇子 |
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永仁6(1298)年8月10日 |
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正安3(1301)年1月21日受禅践祚 |
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富仁親王(花園天皇) |
伏見天皇皇子 |
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正安3(1301)年8月24日 |
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徳治3(1308)年8月26日諒闇践祚 |
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尊治親王(後醍醐天皇) |
後宇多天皇皇子 |
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徳治3(1308)年9月19日 |
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文保2(1318)年2月26日受禅践祚 |
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邦良親王 |
後二條天皇皇子 |
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文保2(1318)年3月9日 |
正中3(1326)年3月20日薨去 |
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量仁親王(光厳天皇) |
後伏見天皇皇子 |
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嘉暦元(1326)年7月24日 |
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元弘元(1331)年9月20日受禅践祚 |
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康仁親王 |
木寺宮邦良親王王子 |
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元弘元(1331)年11月8日 |
元弘3/正慶2(1333)年6月5日廃太子 |
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恒良親王 |
後醍醐天皇皇子 |
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元弘4/建武元(1334)年1月23日 |
延元元/建武3(1336)10月10日廃太子 |
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室町・安土桃山時代 |
諱 |
出自 |
儲君治定 |
立太子 |
辞退/廃太子/薨去 |
践祚 |
備考 |
成良親王 |
後醍醐天皇皇子 |
- |
延元元/建武3(1336)年11月14日 |
延元2/建武4(1337)年ごろ廃太子 |
- |
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興仁親王(崇光天皇) |
光厳天皇皇子 |
- |
延元3/建武5(1338)年8月13日 |
- |
正平3/貞和4(1348)年10月27日受禅践祚 |
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義良親王(後村上天皇) |
後醍醐天皇皇子 |
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延元4/暦応2(1339)年 |
- |
延元4/暦応2(1339)年8月15日践祚 |
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直仁親王 |
花園天皇皇子 |
- |
正平3/貞和4(1348)年10月27日皇太弟 |
正平6/観応2(1351)年11月7日廃太子 |
- |
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煕成親王(後亀山天皇) |
後村上天皇皇子 |
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正平23/貞治7(1368)年頃皇太弟 |
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弘和3/永徳3(1383)年冬受禅践祚 |
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泰成親王 |
後村上天皇皇子 |
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時期不明(後亀山天皇皇太子) |
時期・要因不明 |
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江戸時代・近現代 |
諱 |
出自 |
儲君治定 |
立太子 |
辞退/廃太子/薨去 |
践祚 |
備考 |
朝仁親王(東山天皇) |
靈元天皇皇子 |
天和2(1682)年3月25日儲君治定 |
天和3(1683)年2月9日 |
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貞享4(1687)年3月21日受禅践祚 |
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慶仁親王(中御門天皇) |
東山天皇皇子 |
宝永4(1707)年3月22日儲君治定 |
宝永5(1708)年2月16日 |
- |
宝永6(1709)年6月21日受禅践祚 |
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昭仁親王(櫻町天皇) |
中御門天皇皇子 |
享保5(1720)年10月16日儲君治定 |
享保13(1728)年6月11日 |
- |
享保20(1735)年3月21日受禅践祚 |
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遐仁親王(桃園天皇) |
櫻町天皇皇子 |
延享3(1746)年1月21日儲君治定 |
延享4(1747)年3月16日 |
- |
延享4(1747)年5月2日受禅践祚 |
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英仁親王(後桃園天皇) |
桃園天皇皇子 |
宝暦9(1759)年1月18日儲君治定 |
明和5(1768)年2月19日 |
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明和7(1770)年11月24日受禅践祚 |
儲君治定後かつ立太子前に父の桃園天皇が崩御したため、中継ぎの後櫻町天皇が即位した |
惠仁親王(仁孝天皇) |
光格天皇皇子 |
文化4(1807)年7月18日儲君治定 |
文化6(1809)年3月24日 |
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文化14(1817)年3月22日受禅践祚 |
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統仁親王(孝明天皇) |
仁孝天皇皇子 |
天保6(1835)年6月21日儲君治定 |
天保11(1840)年3月14日 |
- |
弘化3(1846)年2月13日諒闇践祚 |
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嘉仁親王(大正天皇) |
明治天皇皇子 |
明治20(1887)年8月31日儲君治定 |
明治22(1889)年11月3日 |
- |
明治45(1912)年7月30日諒闇践祚 |
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裕仁親王(昭和天皇) |
大正天皇皇子 |
- |
明治45(1912)年7月30日 |
- |
大正15(1926)年12月25日諒闇践祚 |
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立太子礼:大正5(1916)年11月3日 |
明仁親王(上皇) |
昭和天皇皇子 |
- |
昭和8(1933)年12月23日 |
- |
昭和64(1989)年1月7日諒闇践祚 |
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立太子礼:昭和27(1952)年11月10日 |
徳仁親王(今上天皇) |
上皇皇子 |
- |
昭和64(1989)年1月7日 |
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令和元(2019)年5月1日受禅践祚 |
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立太子礼:平成3(1991)年2月23日 |
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◆立太子せず即位した例 |
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天武天皇はこの例に当てはまると言えなくもない気がしますが。。。(一度立太子したあと辞退しているので) |
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諱 |
出自 |
儲君治定 |
立太子 |
辞退/廃太子/薨去 |
践祚 |
備考 |
額田部皇女(推古天皇) |
欽明天皇皇女 |
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崇峻5(592)年12月8日 |
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田村皇子(舒明天皇) |
押坂彦人大兄皇子王子 |
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- |
- |
舒明元(629)年1月4日 |
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寶皇女(皇極・齊明天皇) |
茅渟王王女 |
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- |
- |
皇極元(642)年1月15日 |
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軽皇子(孝徳天皇) |
茅渟王王子 |
- |
- |
- |
皇極4(645)年6月14日 |
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鸕野讃良皇女(持統天皇) |
天智天皇皇女 |
- |
- |
- |
持統4(690)年1月1日 |
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阿閉皇女(元明天皇) |
天智天皇皇女 |
- |
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- |
慶雲4(707)年7月17日 |
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氷高内親王(元正天皇) |
草壁皇子皇女 |
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霊亀元(715)年9月2日 |
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時康親王(光孝天皇) |
仁明天皇皇子 |
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- |
元慶8(884)年2月23日受禅践祚 |
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雅仁親王(後白河天皇) |
鳥羽天皇皇子 |
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久寿2(1155)年7月24日諒闇践祚 |
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尊成王(後鳥羽天皇) |
高倉天皇皇子 |
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寿永2(1183)年8月20日? |
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寿永2(1183)年8月20日践祚
*安徳天皇と在位が重複する |
吹上本帝王系図、皇年代略記、歴代編年集成、紹運要略等は践祚に先立ち立太子したことを記すが、天皇皇族実録では採っていない |
為仁王(土御門天皇) |
後鳥羽天皇皇子 |
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建久9(1198)年1月11日受禅践祚 |
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茂仁王(御堀河天皇) |
後高倉院守貞親王王子 |
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承久3(1221)年7月9日受禅践祚 |
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邦仁親王(後嵯峨天皇) |
土御門天皇皇子 |
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仁治3(1242)年1月20日諒闇践祚 |
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豐仁親王(光明天皇) |
後伏見天皇皇子 |
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延元元/建武3(1336)年8月15日践祚 |
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彌仁王(後光厳天皇) |
光厳天皇皇子 |
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正平7/観応3(1352)年8月17日受禅践祚 |
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寛成親王(長慶天皇) |
後村上天皇皇子 |
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正平23/貞治7(1368)年3月諒闇践祚 |
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緒仁親王(後圓融天皇) |
後光厳天皇皇子 |
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建徳2/応安4(1371)年3月23日受禅践祚 |
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幹仁王(後小松天皇) |
後圓融天皇皇子 |
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弘和2/永徳2(1382)年4月11日受禅践祚 |
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實仁親王(稱光天皇) |
後小松天皇皇子 |
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応永19(1412)年8月29日受禅践祚 |
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彦仁王(後花園天皇) |
伏見宮貞成親王王子 |
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正長元(1428)年7月28日諒闇践祚 |
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成仁親王(後土御門天皇) |
後花園天皇皇子 |
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寛正5(1464)年7月19日受禅践祚 |
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勝仁親王(後柏原天皇) |
後土御門天皇皇子 |
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明応9(1500)年10月25日諒闇践祚 |
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知仁親王(後奈良天皇) |
後柏原天皇皇子 |
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大永6(1526)年4月29日諒闇践祚 |
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方仁親王(正親町天皇) |
後奈良天皇皇子 |
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弘治3(1557)年10月27日諒闇践祚 |
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周仁親王(後陽成天皇) |
陽光院誠仁親王王子 |
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天正14(1586)年11月7日受禅践祚 |
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政仁親王(後水尾天皇) |
後陽成天皇皇子 |
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慶長16(1611)年2月11日立太子節会停止 |
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慶長16(1611)年3月27日受禅践祚 |
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興子内親王(明正天皇) |
後水尾天皇皇女 |
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寛永6(1629)年11月8日受禅践祚 |
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紹仁親王(後光明天皇) |
後水尾天皇皇子 |
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寛永20(1643)年10月3日受禅践祚 |
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良仁親王(後西天皇) |
後水尾天皇皇子 |
承応3(1654)年10月御継体宮 |
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承応3(1654)年11月28日諒闇践祚 |
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識仁親王(靈元天皇) |
後水尾天皇皇子 |
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寛文3(1663)年1月26日受禅践祚 |
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智子内親王(後櫻町天皇) |
櫻町天皇皇女 |
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宝暦12(1762)年7月27日諒闇践祚 |
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兼仁王(光格天皇) |
閑院宮典仁親王王子 |
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安永8(1779)年11月25日諒闇践祚 |
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温仁親王 |
光格天皇皇子 |
寛政12(1800)年3月7日儲君治定 |
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寛政12(1800)年4月4日薨去 |
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睦仁親王(明治天皇) |
孝明天皇皇子 |
万延元(1860)年7月10日儲君治定 |
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慶応3(1867)年1月9日諒闇践祚 |
儲君治定後立太子を経ず践祚 |
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◆立太子した可能性があるが断定困難 |
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諱 |
出自 |
時期 |
備考 |
押坂彦人大兄皇子 |
敏達天皇皇子 |
敏達天皇- 推古天皇頃 |
日本書紀「太子彦人皇子」、古事記「日子人太子」の語があるため、皇太子となったのではないかと考えられるが、確証なし。 |
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◆立太子していない&儲君治定がなかった(かつ践祚しなかった)が儲君扱いであった皇子 |
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諱 |
出自 |
時期 |
備考 |
皇子某(小川宮) |
後小松天皇皇子 |
稱光天皇代 |
(薩戒記)院第二御子、内御一服、為儲君 |
高仁親王 |
後水尾天皇皇子 |
後水尾天皇代 |
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*参考文献* |
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天皇皇族実録 1-136 (ゆまに書房/2005-2019) |
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皇室制度史料 儀制 立太子1 (吉川弘文館/2015) |
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皇室制度史料 儀制 立太子2 (吉川弘文館/2017) |