花筐館<葵の間>

   
  陸奥盛岡藩主家 南部氏系譜
   
 
初代 南部利直 (通称:彦九郎、初名:晴直/戒号:南宗院)(天正4/1576-寛永9/1632)
正室 源秀院 小倉行隆女(蒲生氏郷養妹) (天正元/1573-寛文3/1663) 重直(初名勝直) (慶長11/1606-寛文4/1664) 即性院、幼名権平
二代藩主
利康(初名康直) (慶長12/1607-寛永8/1631) 彦龍院、幼名鶴松・申千代、通称彦八郎
家臣南直義養子
村姫 (?-寛永16/1639) 恵見院
家臣東胤政室(死別)
毛馬内為次(東直胤)室
側室 三代 (今淵氏)(?-寛永20/1643) 経直(初名家直) (慶長3/1598-慶長18/1613) 法泉寺殿、通称彦六郎・兵六郎
側室 香林院 楽(はじめ岩、閑) (石井氏)(?-寛永5/1628) 糸姫 (慶長4/1599-延宝6/1678) 景陽院
家臣北直愛室
政直 (慶長4/1599-寛永元/1624) 海潮院、通称彦九郎
花巻城主
七姫 (慶長11/1606-寛文5/1665) 春光院
近江大森藩主最上義俊縁約(義俊除封により破談)
家臣中野元康室
側室 慈徳院 松 (花輪氏)(慶長元/1596-寛永15/1638) 重信(初名花輪重政) (元和2/1616-元禄15/1702) 大源院、通称彦六郎
はじめ七戸直時継嗣として七戸隼人を称す
三代藩主
側室 法源院 山田氏 (?-明暦3/1657) 利長 (寛永3/1626-寛文2/1662) 山田主水を称す
側室 仙寿院 中里氏 (?-延宝元/1673) 直房(初名中里直好) (寛永5/1628-寛文8/1668) 清涼院、幼名辰丸、通称数馬
陸奥八戸藩主
二代 南部重直 (幼名:権平/戒号:即性院)(慶長11/1606-寛文4/1664)
正室 加藤嘉明女
*離縁
長松丸  
楽姫 (正保4/1647-承応3/1654) 冬雲院
側室 吉田・勝山 (宇留田佐兵衛女) 吉松丸 (正保元/1644-承応元/1652) 玉樹院
側室 貞心院 蘭・右京 (本館氏)(?-元禄3/1690) 吹姫 (寛文元/1661-寛文7/1667) 林光院
側室 隆高院 陽 (岸木氏)(?-延宝7/1679)    
側室 亀 (八木沢氏)(?-寛永13/1636)    
三代 南部重信 (通称:彦六郎、初名:重政/戒号:大源院)(元和2/1616-元禄15/1702)
正室 大智院 玉山秀久女 (元和5/1619-寛文11/1671) 定信 (寛永15/1638-寛文3/1663) 寿昌院、通称七戸主殿助・相模
行信(初名正信、尚信) (寛永19/1642-元禄15/1702) 徳雲院、幼名八内、通称右馬助
四代藩主
式姫 (慶安2/1649?-元禄11/1698) 長源院
因幡鳥取藩主池田綱清室
側室 村木勝秀女 (?-承応3/1654) 秀信(初名政信) (寛永12/1635-寛文3/1663) 瑞雲院、幼名彦六郎、通称七戸彦次郎・伊豆
側室 長慶院 上田親清女 (元和8/1622-元禄14/1701) 七姫 (承応元/1652or明暦元/1655-宝永7/1710) 長寿院
播磨山崎藩主本多忠英室(離縁)
筑後松崎藩主有馬豊祐(豊範)室(豊範除封により大帰)
英信 (万治元/1658-享保16/1731) 善性院、幼名乙之助、通称七戸喜庵
兵部(はじめ辰之助) (寛文4/1664-寛文6/1666)  
側室 光樹院(光寿院) 軽 (服部氏、穂高康之養女)(?-貞享元/1684) 政信(初名政庸) (寛文8/1668-延享3/1746) 浄雲院、幼名亀千代・亀之助、通称主税
旗本麹町南部家祖
側室 松貞院 吟 (新渡戸常秀女)(?-享保12/1727) 勝信(初名盛信) (寛文9/1669-享保17/1732) 覚樹院、幼名鶴千代・鶴之助、通称主計
万之助 (寛文10/1670-延宝元/1673)  
色姫 (寛文12/1672-延宝2/1674)  
愛信(初名親信) (延宝3/1675-享保17/1732) 宗珊院、通称式部のち七戸外記
千代姫 (延宝4/1676-延宝5/1677)  
岸姫 (?-天和元/1681) 貞了院
側室 浄生院 沢 (栃内氏)(?-元禄5/1692) 通信 (延宝元/1673-享保元/1716) 三玄院(山玄院)、通称内匠のち右近
陸奥八戸藩主
側室 峰光院 小督・留理 (那波安光女)(?-享保2/1717) 三代姫 (?-天和3/1683) 常春院
坪内定信(初名豊信) (天和元/1681-寛保2/1742) 英林院、幼名大助、通称坪内数馬
幕臣坪内定重養子
八千姫 (貞享2/1685-元禄6/1693) 玉林院
側室 養春院 蘭 (普門院源覚女、赤沢吉将養女)(?-享保元/1716) 舜信(初名賢信) (天和2/1682-宝永3/1706) 寿峯院(あるいは奇峯院)、幼名善之助、通称七戸織部
兄七戸喜庵英信養子
慶姫 (貞享3/1686-享保4/1719) 常穏院
家臣八戸義倫室(死別)
家臣八戸利戡室
益姫 (?-享保5/1720) 妙解院
家臣桜庭直良室(死別)
家臣桜庭統胤室(死別)
家臣桜庭統愛(井上平八郎)室
母未詳 千之助 (寛文11/1671-延宝元/1673)  
岩姫 (?-延宝2/1674) 修善院
捨姫 (延宝6/1678)  
四代 南部行信 (幼名:八内、通称:右馬助、初名:正信/戒号:徳雲院)(寛永19/1642-元禄15/1702)
正室 清浄院 熊姫 (毛利光広女)(承応元/1652-貞享元/1684) 伊久姫 (寛文8/1668-享保5/1720) 松山院
摂津尼崎藩主青山幸督室
信千代 (寛文10/1670-寛文11/1671) 一華院
志久姫 (寛文12/1672-寛保3/1743) 妙霊院
陸奥八戸藩主南部直政室
幕姫 (延宝元/1673-享保13/1728) 光源院
豊後佐伯藩主毛利高久室(離縁)
和泉陶器藩主小出重興室(重興卒後大帰)
実信 (延宝4/1676-元禄13/1700) 泰雲院、通称隼人
縁女:玉仙院(玉泉院) 菊姫 (岡山池田綱政女)(貞享3/1686-宝暦9/1759)
側室 広照院 右京 (中里正房女)(?-享保5/1720) 繰姫 (寛文6/1666-寛文9/1669)  
鎮姫 (寛文9/1669-延享2/1745) 慈雲院(あるいは冷光院)
丹後田辺藩主牧野英成室
八弥 (延宝元/1673-延宝6/1678)  
大八郎 (延宝3/1675-延宝4/1676)  
鍋之助 (天和元/1681-天和2/1682)  
百助 (天和2/1682-天和3/1683)  
重四郎 (天和3/1683-貞享2/1685)  
善吉 (元禄10/1697-元禄11/1698)  
側室 慶雲院 糸 (椎名氏)(?-享保9/1724) 主膳 (延宝4/1676)  
汐姫 (?-貞享4/1687)  
春姫 (?-元禄4/1691)  
艶姫 (貞享2/1685-元文5/1740) 瑞嶺院
筑前福岡藩主黒田宣政室
側室 慈恩院 蓮(はじめ紺) (岩井氏)(?-正徳2/1712) 信恩(初名久信) (延宝6/1678-宝永4/1707) 霊巌院、幼名藤平
はじめ玉山刑部を称す
五代藩主
側室 古和 (関弥正元女)(?-寛保元/1741) 久姫 (?-元禄6/1693)  
側室 久宇 (中野為勝女) 助姫 (?-元禄5/1692)  
権之助 (?-元禄5/1692)  
側室 心光院 由利 (岩間政次女)(?-元文元/1736) 呂久姫 (?-元禄7/1694)  
利幹(初名尚信、信応) (元禄2/1689-享保10/1725) 霊徳院、幼名吉助
はじめ三戸左近を称す
六代藩主
五郎八 (?-元禄5/1692)  
半十郎 (?-元禄11/1698) 覚證院
母未詳 孫三郎 (延宝4/1676)  
茂与姫 (?-貞享4/1687)  
孫六 (?-元禄8/1695)  
次郎四郎 (元禄7/1694-元禄10/1697) 観月院
南部政信養子
糸姫 (?-元禄8/1695)  
五代 南部信恩 (幼名:藤平、初名:久信/戒号:霊巌院)(延宝6/1678-宝永4/1707)
正室 真寿院 元姫 (毛利綱元女)(延宝3/1675-寛保2/1742) 岩次郎 (元禄15/1702-宝永元/1704) 青雲院
側室 聚景院 清 (楢山隆常女)(?-元禄11/1698) 玉山藤平 (元禄11/1698-元禄12/1699)  
側室 浄智院 屋す (黒沢定治女)(?-享保20/1735) 昆姫 (宝永3/1706)  
女子 (宝永4/1707)  
利視(初名信賀、信視) (宝永5/1708-宝暦2/1752) 天量院、幼名吉助
七代藩主
側室 齢広院 俊 (新渡戸常政女)(?-正徳元/1711) 政姫 (宝永5/1708-享保19/1734) 霊光院
摂津高槻藩主永井直期室
六代 南部利幹 (幼名:吉助、初名:尚信、信応/戒号:霊徳院)(元禄2/1689-享保10/1725)
正室 仙桂院 春姫 (蜂須賀隆重女、蜂須賀隆長養女)(元禄7/1694-享保11/1726) 女子  
側室 貞林院 妙(はじめ千代) (橋本清政女)(?-安永4/1775) 豊姫 (享保3/1718-享保4/1719) 桂香院
類姫(はじめ柳) (享保6/1721-享保8/1723) 瑞林院
利雄(初名信貞) (享保10/1725-安永8/1779) 養源院、幼名辰之助・亀五郎
八代藩主
側室 信是院 川井影寛女 信起 (享保11/1726-安永7/1778) 秋渓院、幼名万之助・牛之助、通称彦九郎
はじめ七戸愛信養子、のち南部信之養子
側室 慈光院 勇・玉 (千種氏)(?-元文3/1738)    
母追跡中 久姫 (享保4/1719-享保6/1721) 瑤林院
七代 南部利視 (幼名:吉助、初名:信賀・信視/戒号:天量院)(宝永5/1708-宝暦2/1752)
正室 本性院 国姫 (榊原政邦女)(?-寛保3/1743)    
側室 月心院 浦 (漆戸正勝女)(享保元/1716-元文3/1738) 吉姫 (享保16/1731-寛保2/1742) 覚苑院(あるいは覚華院)
家臣北継垣縁約(婚儀前卒)
冨松(はじめ八十助) (享保19/1734-元文元/1736)  
側室 小銀 (大森豊盛女) 千代太郎 (享保17/1732-享保18/1733) 清照院
側室 円成院 いよ (漆戸茂英女)(?-安永2/1773) 吟姫(はじめ峯) (享保19/1734)  
台姫 (元文元/1736-安永9/1780) 量寿院
家臣南晴屋室
三戸信居 (元文3/1738-天明7/1787) 見性院、幼名八助、通称左京
新屋敷三戸祖
利喜姫 (元文5/1740-寛保元/1741)  
重姫 (延享元/1744-延享4/1747)  
側室 霜林院 三保 (関式忠養女)(享保3/1718-元文5/1740) 愛姫 (享保20/1735-宝暦10/1760) 真涼院
丹後田辺藩主牧野惟成室
三戸信駕 (元文4/1739-寛政6/1794) 桂林院、幼名万之助、通称主水
角屋敷三戸祖
側室 要津院 綾 (横浜通宴女)(?-明和8/1771) 信伝 (元文2/1737-宝暦6/1756) 本覚院、幼名徳五郎、通称主税
旗本麹町南部家相続
三戸千之助 (延享元/1744-延享4/1747) 玉樹院
三戸信明 (寛延元/1748-明和5/1768) 瑞泉院、幼名龍弥
増姫 (寛延3/1750-宝暦元/1751) 空華院
家臣永田澄之丞某縁約(婚儀前卒)
寅姫 (宝暦2/1752-文政3/1820) 慈眼院
家臣漆戸茂徳室
側室 普明院 艶(はじめ道) (工藤祐定女)(?-寛政2/1790) 三戸信周 (延享元/1744-天明6/1786) 正眼院、幼名百助、通称主計
中屋敷三戸祖
三戸七之助 (延享3/1746-延享4/1747) 玉幻院
女子 (寛延3/1750)  
側室 本誓院 紋 (山屋勝秀女)(享保12/1727-宝暦元/1751) 三戸文吉 (寛延3/1750-宝暦元/1751) 清月院
側室 智勝院 りや (瀬山文治女)(?-天明元/1781) 利正(初名信由) (宝暦元/1751or宝暦2/1752-天明4/1784) 義徳院、幼名幸吉
はじめ三戸氏を称す
九代藩主
八代 南部利雄 (幼名:辰之助・亀五郎、初名:信貞/戒号:養源院)(享保10/1725-安永8/1779)
正室 玉台院 弓姫(はじめ繁姫) (前田利章女、前田吉徳養女)(享保8/1723-寛延3/1750) 利謹(初名嵩信) (延享3/1746-文化11/1814) 泰心院のち縉雲院、幼名三郎
正室:円明院 麻姫 (黒田継高女)(寛保元/1741-享和3/1803)
病により幽居廃嫡、十二代利済の父
亀五郎 (延享4/1747-宝暦6/1756) 青嶂院
側室 本光院 元・石・門 (福島吉顕女)(?-天明8/1788) 栄姫(はじめ辰、満) (宝暦11/1761-天明7/1787) 芳光院
肥後熊本新田藩主細川利庸室
側室 智性院 千恵(はじめ満) (桜庭氏)(?-文化6/1809)    
九代 南部利正 (幼名:幸吉、初名:信由/戒号:義徳院)(宝暦元/1751あるいは宝暦2/1752-天明4/1784)
正室 観光院 依姫 (南部信起女)(?-文政7/1824) 親姫(はじめ豊、富、資) (明和8/1771-天保7/1836) 親光院
播磨明石藩主松平直之縁約(死別)
近江彦根藩主井伊直中室
彦次郎 (安永3/1774-安永4/1775) 全性院
幸姫 (安永5/1776-享和3/1803) 神鏡院
上野高崎藩主大河内松平輝延室
側室 凉雲院 コン (田中氏)(?-文政3/1820) 長姫 (天明元/1781-天明5/1785) 献珠院
利敬(初名信敬) (天明2/1782-文政3/1820) 神鼎院、幼名慶次郎
十代藩主
寿姫(はじめ年) (天明4/1784-文政8/1825) 玉芳院
族臣三戸信丞室
十代 南部利敬 (幼名:慶次郎、初名:信敬/戒号:神鼎院)(天明2/1782-文政3/1820)
正室 光樹院 教姫 (浅野重晟女)(天明5/1785-文久3/1863)    
十一代 南部利用 (幼名:駒五郎のち吉次郎/戒号:常光院のち常孝院)(文化3/1806-文政4/1821) ※実父は中屋敷三戸信丞
(十一代) 南部利用 (幼名:善太郎/戒号:養徳院)(享和3/1803-文政8/1825) ※実父は新屋敷三戸信浄
縁女 清仙院 芳姫(厚姫、恒姫) (前田斉広女)(文化10/1813-嘉永5/1852)    
側室 喜遠・稲・雛薗 (四戸武連女) 豊姫(はじめ鎌) (文政8/1825-弘化4/1847) 法雲院
井伊直亮養女
十三代藩主利義(信候)室
十二代 南部利済 (幼名:源太丸、初名:謹明・信親・三戸修礼/戒号:霊承院)(寛政9/1797-安政2/1855) ※実父は八代藩主利雄の嫡男利謹
正室 宝鏡院 雅姫 (大河内輝延女、南部利敬養女)(享和3/1803-文政12/1829) 男子死産 (文政11/1828) 朝霜院
継室 光雲院 楢山烈子 (?-安政4/1857) 利義(初名謹保、信侯) (文政6/1823-明治21/1888) 源心院、幼名達次郎
十三代藩主
廉姫 (文政7/1824-文政8/1825) 真覚院
謹諧 (文政8/1825-天保10/1839) 賢良院、幼名錦之佐
利剛(初名謹敦) (文政9/1826-明治29/1896) 幼名寿之助・鉄五郎
十四代藩主
栄枝(初名謹詳) (文政11/1828-明治25/1892) 幼名新次郎、通称出羽
側室 宝珠院 玉ノ井もしくは浜の井 (田丸氏養女)(?-天保5/1834) のぶ姫 (天保元/1830-天保2/1831) 桂窓院
達姫 (天保3/1832) 秋香院
綏姫 (天保4/1833-天保5/1834) 荷蓉院
男子 (天保5/1834)  
側室 青木千陽子 寿姫(はじめ成) (天保7/1836-?) 新屋敷三戸信賢室
護次郎 (天保13/1842-天保14/1843) 真淳院
鶴姫 (弘化元/1844-弘化2/1845) 霊照院
亀姫 (弘化元/1844-弘化2/1845) 鸞渓院
*鶴姫と双子
側室 小寺秀子 益五郎 (天保9/1838-天保10/1839) 池月院
側室 芳 健之丞(はじめ健三郎) (天保10/1839-天保11/1840) 瑤池院
興姫 (天保13/1842-天保14/1843) 桂雲院
側室 村瀬知恵 剛弘(初名謹弘) (天保14/1843-明治42/1909) 幼名菊千代・栄千代、通称伯耆
側室 某氏 元姫 (弘化4/1847-嘉永2/1849) 霊光院
側室 藤田吟子 斉三郎 (弘化4/1847-嘉永2/1849) 景春院
十三代 南部信候 (幼名:鋌丸・達次郎、初名:謹保、隠居後:利道・利義/戒号:源心院)(文政6/1823-明治21/1888)
正室 法雲院 豊姫(はじめ鎌姫) (南部利用女、井伊直亮養女)(文政8/1825-弘化4/1847) 羊松丸 (天保14/1843-弘化元/1844) 雪梢院
側室 梅・田鶴 (吉田一学女) 教姫(はじめ廷) (弘化元/1844-弘化2/1845) 憲秀院
八重姫 (弘化4/1847) 蓮如院
婦美姫 (嘉永元/1848)  
久姫 (嘉永3/1850-嘉永4/1851) 麗妙院
側室 純 纓千代 (安政4/1857-安政5/1858) 葆光院
利純 (文久元/1861-?) 幼名千代鶴あるいは鶴千代
南部宣民養子
愛姫 (慶応元/1865-?) 東政徳室
女子  
側室 富 利国(初名義常) (安政5/1858-?) 幼名龍丸
十四代 南部利剛 (幼名:寿之助・鉄五郎、初名:謹敦)(文政9/1826-明治29/1896)
正室 松姫明子 (水戸徳川斉昭女)(天保7/1836-明治36/1903) 流産 (安政5/1858)  
豫千代(はじめ三郎) (文久3/1863-慶応元/1865)  
輝姫 (慶応元/1865-慶応3/1867)  
宗姫 (慶応2/1866-明治43/1910) 子爵秋元興朝夫人
章姫 (明治元/1868)  
総子 (明治3/1870)  
貴子(はじめ瑩子) (明治4/1871-昭和11/1936) 子爵松前修広夫人(離縁)
子爵鍋島直虎夫人
利克 (明治6/1873-昭和25/1950) 南部子爵家(旧八戸藩主家)相続(子爵)
利功 (明治7/1874-明治9/1876)  
季子 (明治12/1879-明治15/1882)  
側室 倭・楽 (宮治兵衛女) 紀姫郁子 (嘉永6/1853-明治41/1908) 華頂宮博経親王妃
利恭(初名剛毅) (安政2/1855-明治36/1903) 幼名鉱之助、彦太郎
十五代藩主(のち伯爵)
英麿(剛建) (安政3/1856-明治43/1910) 大隈重信養子(離縁)
信方(初名剛明) (安政5/1858-大正12/1923) 幼名雄麿
陸奥七戸藩主(のち子爵)
側室 幸 (大光寺悦右衛門女) 麻姫 (安政5/1858-大正2/1913) 子爵八戸南部栄信夫人
剛寧(利寧) (文久元/1861-慶応3/1867) 幼名慶麿
達麿 (文久3/1863-元治元/1864)  
卓姫 (慶応元/1865-?)  
剛融 (慶応3/1867-明治4/1871) 天真院、幼名敏麿
倫姫 (明治元/1868-明治12/1879) 南部剛隆縁約(婚儀前卒)
側室 琴 (金田一義長女) 稠姫(元姫) (文久2/1862-明治13/1880) 端相院
南部康直夫人(死別)
南部康保方入籍
舒姫 (文久3/1863-慶応元/1865)  
規矩麿 (慶応元/1865)  
剛確 (慶応2/1866-明治15/1882) 幼名乙麿・於菟麿
馨姫 (明治元/1868-明治3/1870)  
剛護 (明治2/1869-大正3/1914) 幼名紀麿
側室 円照院 北氏 (?-嘉永4/1851)    
十五代 南部利恭 (幼名:鉱之助、彦太郎)(伯爵)(安政2/1855-明治36/1903)
正室 凞姫 (宇和島伊達宗城女)(万延元/1860-昭和8/1933)
*離縁
   
継室 幾姫 (溝口直溥女)(安政5/1858-明治10/1877)    
継室 喜久姫 (浅野懋昭女)(安政3/1856-明治35/1902) 庸子 (明治12/1879-昭和39/1964) 子爵徳山毛利元秀夫人
利祥 (明治15/1882-明治38/1905) 四十二代当主(伯爵)、戦死
利淳 (明治17/1884-昭和5/1930) 四十三代当主(伯爵)
恭子 (明治18/1885-昭和41/1966) 男爵島津久家夫人
四十二代当主 南部利祥 (伯爵)(明治15/1882-明治38/1905)
四十三代当主 南部利淳 (伯爵)(明治17/1884-昭和5/1930)
夫人 池田嚴子 (鳥取池田輝知女)(明治18/1885-昭和19/1944) 瑞子 (明治41/1908-昭和55/1980) 伯爵南部利英夫人
利貞 (明治42/1909-昭和3/1928)  
四十四代当主 南部利英(旧名:一条実英) (伯爵)(明治40/1907-昭和55/1980) ※実父は公爵一条実輝
夫人 南部瑞子 (南部利淳女)(明治41/1908-昭和55/1980) 利久 (昭和7/1932-昭和55/1980) 夫人:朝香冨久子 (朝香孚彦女)(昭和16/1941-)(*離縁)
夫人:野玉嘉代子 (野玉善雄女)(昭和15/1940-)
大塚利博 (昭和9/1934-) 大塚寛一養子
利昭 (昭和10/1935-平成21/1990) 四十五代当主
淑子 (昭和12/1937-) 鈴木喬久夫人
和子 (昭和14/1939-) 高桑幸吉夫人
敦子 (昭和16/1941-) 渡邉琢仁夫人
文子 (昭和20/1945-) 野田豊夫人
四十五代当主 南部利昭 (昭和10/1935-平成21/1990)
夫人 井沼節子 (井沼清七女)(昭和12/1937-)    

 

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