花筐館<葵の間>

   
  出羽久保田藩主家 佐竹氏系譜
   
 
藩祖 佐竹義重 (幼名:徳寿丸、通称:次郎/戒号:知足院)(天文16/1547-慶長17/1612)
正室 芳寿院(宝寿院) 伊達晴宗女 (天文20/1551-寛永8/1631) 義宣 (元亀元/1570-寛永10/1633) 浄光院、幼名徳寿丸、通称次郎
出羽久保田藩初代藩主
義勝(初名義広、盛重) (天正3/1575-寛永8/1631) 大連院(あるいは大雲院)、幼名喝食丸、通称平四郎
はじめ奥州白河城主白川義親養子(称義広)、
ついで奥州黒川城主葦名盛隆養子(称盛重)、
のち角館領主
女子 (天正9/1581-寛文3/1663) 自性院
高倉永慶簾中
岩城貞隆 (天正11/1583-元和6/1620) 円城院(あるいは円成院)、幼名能化丸、通称忠次郎
信濃中村藩主(岩城氏)
二代藩主義隆の父
岩城宣隆(初名宣家) (天正12/1584-寛文12/1672) 円通院、幼名彦太郎、通称左兵衛
はじめ常州下妻城主多賀谷重経養子(称宣家)、
のち兄貞隆養子(岩城氏)
側室 細谷氏 義継(義直) (慶長17/1612-明暦2/1656) 幼名申若丸、通称彦次郎
はじめ北義廉養子
のち兄義宣の世子(廃嫡)
初代 佐竹義宣 (幼名:徳寿丸、通称:次郎/戒号:浄光院)(元亀元/1570-寛永10/1633)
正室 正洞院 那須資胤女 (永禄10/1567-天正18/1590 or 永禄11/1568-天正19/1591)    
継室 大寿院 多賀谷重経女 (?-寛永15/1638) 男子 (慶長4/1599-慶長5/1600)  
側室 昌寿院 岩瀬御台 (葦名盛隆女、二階堂盛義養女)(天正13/1585-寛永16/1639)    
二代 佐竹義隆 (幼名:能化丸、通称:四郎次郎、初名:吉隆/戒号:鑑照院)(慶長14/1609-寛文11/1671) ※実父は信濃中村藩主岩城貞隆
正室 光聚院 佐竹義章女 (元和6/1620-貞享元/1684) 義処 (寛永14/1637-元禄16/1703) 徳雲院、幼名徳寿丸、通称次郎
三代藩主
千松 (寛永16/1639)  
女子 (寛永18/1641-承応元/1652)  
義慰 (正保2/1645-延宝元/1673) 徳正院、幼名松之助
義長(初名義知) (明暦元/1655-元文5/1740) 指月院、幼名千代松、通称左近
出羽岩崎藩主
五代藩主義峯の実父
側室 隆清院 万 (多羅尾氏)(慶長12/1607-元禄元/1688) 亀姫 (寛永6/1629-貞享元/1684) 法流院
筑後秋月藩主黒田長興室
義寘(義興) (寛永10/1633-寛文5/1665) 本源院、幼名所化丸、通称四郎三郎
久保田新田藩主
側室 永昌院 千    
三代 佐竹義処 (幼名:徳寿丸、通称:次郎/戒号:徳雲院)(寛永14/1637-元禄16/1703)
正室 宝明院 松江松平直政女 (承応元/1652-天和3/1683) 吉姫(はじめ市姫) (寛文8/1668-寛文12/1672) 涼月院
亀姫 (寛文10/1670-延宝3/1675) 常照院
義苗(初名義林) (寛文11/1671-元禄12/1699) 乾徳院、幼名徳寿丸、通称次郎
正室:霊岳院 育姫 (紀伊徳川光貞女)(延宝3/1675-元禄6/1693)
女子死産 (延宝元/1673)  
鍋姫 (延宝3/1675-延宝4/1676) 霜林院
相馬叙胤(初名義珍) (延宝5/1677-正徳元/1711) 香雲院、幼名仁寿丸、通称求馬
陸奥相馬中村藩主(相馬氏)
清姫 (延宝7/1679-延宝8/1680) 伊勢久居藩主藤堂高通養女
弁姫 (延宝8/1680-貞享4/1687) 霊苗院
男子 (天和3/1683)  
側室 覚性院 清 (谷氏)(?-元禄4/1691) 岩姫 (貞享4/1687-宝永6/1709) 真覚院
美作津山藩主松平宣富室
久姫 (元禄2/1689-享保16/1731) 養真院
筑前秋月藩主黒田長軌室
側室 智清院 隆(はじめ佐津) (布施氏)(寛文5/1665-寛延2/1749) 義格 (元禄7/1694-正徳5/1715) 天祥院、幼名千代助・千代丸、通称源次郎
四代藩主
源姫 (元禄10/1697-元禄16/1703) 円覚院
順姫 (元禄16/1703-享保6/1721) 幻体院
出雲松江藩主松平宣維室
四代 佐竹義格 (幼名:千代助・千代丸、通称:源次郎/戒号:天祥院)(元禄7/1694-正徳5/1715)
縁女 浅野綱長女    
側室 光全院 平賀貞順女 (元禄13/1700-享保18/1733) 源之助 (正徳4/1714)  
五代 佐竹義峯 (幼名:仙寿丸、通称:求馬、初名:義恭/戒号:円明院)(元禄3/1690-寛延2/1749) ※実父は出羽岩崎藩主佐竹義長
正室 円宗院/桃源院 利姫 (黒田長清女)(元禄15/1702-延享2/1745)    
側室 寛厚院 保野 (安田氏)(元禄11/1698-享保19/1734) 照姫(はじめ与禰、栄) (享保5/1720-天明6/1786) 蓮寿院
伊予松山藩主松平定喬室
冨姫(はじめ常) (享保7/1722-延享元/1744) 玉鳳院
信濃松本藩主戸田松平光雄室
女子 (享保9/1724)  
直姫(はじめ亜久里) (享保14/1729-寛延元/1748) 光源院
七代藩主義明室
仙寿丸 (享保16/1731-享保17/1732)  
寿姫 (享保19/1734-寛政10/1798) 本清院
肥前平戸藩世子松浦邦室(死別後大帰)
側室 心涼院 伊与 (永田氏)(?-享保20/1735) 男子 (享保20/1735)  
六代 佐竹義真 (幼名:左吉・徳寿丸、通称:次郎/戒号:通霄院)(享保17/1732-宝暦3/1753) ※実父は先代義峯の養子・佐竹義堅
正室 盛徳院 楊姫 (前田吉徳女)(元文2/1737-宝暦12/1762)    
七代 佐竹義明 (幼名:延寿丸、通称:求馬、初名:義局/戒号:恭温院)(享保8/1723-宝暦8/1758) ※実父は出羽岩崎藩主佐竹義道
正室 光源院 直姫(はじめ阿久里) (佐竹義峯女)(享保14/1729-寛延元/1748) 義敦(初名義直) (寛延元/1748-天明5/1785) 源通院、幼名秀丸、通称次郎
八代藩主
側室 美和・三輪 (林氏) 義方 (宝暦4/1754-文化6/1809) 方等院、幼名幸之助、通称左近
母追跡中 千代姫 (?-宝暦7/1757)  
八代 佐竹義敦 (幼名:秀丸、通称:次郎、初名:義直/戒号:源通院)(寛延元/1748-天明5/1785)
正室 貞明院 賀姫(はじめ冨姫) (山内豊敷女)(延享2/1745-文化7/1810) 梅姫 (明和7/1770or安永2/1773-安永5/1776) 芳春院/光照院
薩摩鹿児島藩主島津斉宣縁約(婚儀前卒)
側室 桂寿院 町・花枝・清滝・清 (三木氏)(宝暦5/1755-文政12/1829) 男子死産 (安永3/1774)  
義和 (安永4/1775-文化12/1815) 天樹院、幼名直丸、通称次郎
九代藩主
敦姫(はじめ宣、幸、美栄) (安永6/1777-寛政8/1796) 芳蓮院
薩摩鹿児島藩主島津斉宣室
側室 幾瀬 嘉代姫 (天明4/1784or天明5/1785-天明7/1787)  
母追跡中(すべて側室所生) 鶴五郎(はじめ徳千代) (安永5/1776-安永7/1778)  
女子死産 (安永5/1776)  
米之助(はじめ秀之助) (安永7/1778-安永8/1779)  
男子死産 (安永7/1778)  
満姫 (安永8/1779-安永9/1780or天明元/1781)  
美代姫 (安永9/1780-天明元/1781)  
桂姫 (天明元/1781-天明2/1782)  
九代 佐竹義和 (幼名:直丸、通称:次郎/戒号:天樹院)(安永4/1775-文化12/1815)
正室 仙松院/仙祥院 弥姫(はじめ鉄姫) (堀田正順女)(安永元/1772-文化13/1816) 女子 (享和3/1803-文化2/1805) 霊性院/照月院
側室 清心院 綾・松岡 (近藤氏) 節姫 (文化5/1808or文化8/1811-文政8/1825) 本光院
陸奥会津藩主松平容敬室
利瑳姫 (文化10/1813-文政5/1822) 浄智院(あるいは窈窕院)
加賀金沢藩主前田斉泰縁約(婚儀前卒)
義尹 (文化12/1815-天保9/1838) 譲徳院、幼名友千代
側室 玲光院 三代嶋 (渋谷雄徳女、北川一善養女)(寛政4/1792-文政4/1821) 義厚(初名義恵・義英) (文化9/1812-弘化3/1846) 宏徳院、幼名雄丸・徳寿丸
十代藩主
直千代 (文化10/1813-文政元/1818)  
十代 佐竹義厚 (幼名:雄丸・徳寿丸、初名:義恵・義英/戒号:宏徳院)(文化9/1812-弘化3/1846)
正室 玉照院のち瑶台院/心月院 鋭姫 (前田利幹女)(文化9/1812-天保11/1840)    
継室 月鏡院/智照院 素姫 (鳥取池田斉稷女)(文政2/1819-天保13/1842)    
側室 福島氏 武丸 (天保3/1832)  
側室 松操院 見崎 (阿部氏のち奥氏に改姓)(文化7/1810-明治元/1868) 孝姫 (天保6/1835-天保7/1836)  
佳姫 (天保8/1837-明治元/1868) 温徳院
伊予宇和島藩主(のち侯爵)伊達宗徳室
鑑姫 (天保8/1837-天保10/1839) *佳姫は3月生、鑑姫は12月生
義睦 (天保10/1839-安政4/1857) 憲諒院、幼名雄丸、通称:次郎
十一代藩主
十一代 佐竹義睦 (幼名:雄丸、通称:次郎/戒号:憲諒院)(天保10/1839-安政4/1857)
正室 諒鏡院 悦姫 (山内豊資女)(天保11/1840or天保12/1841-大正5/1916)    
十二代 佐竹義堯 (幼名:亀三郎・清三郎、初名:相馬宗胤→佐竹義核、義就/戒号:顕徳院)(のち侯爵)(文政8/1825-明治17/1884) ※実父は陸奥相馬中村藩主相馬益胤
正室 宝珠院 多喜姫 (佐竹義純女)(文政10/1827-嘉永2/1849)    
継室 真誠院/昌珠院 そな姫 (藤堂高聴女)(?-安政6/1859)    
継室 青山忠良女
*離縁
   
側室 三浦氏 雅子 (安政5/1858-明治36/1903) 男爵佐竹義脩夫人
女子  
定丸  
女子  
側室 遠藤氏 鐶子 (万延元/1860-?) 子爵佐竹義理夫人
側室 大塚氏 義生 (慶応3/1867-大正4/1915) 幼名鈷丸
三十一代当主(侯爵)
亀丸  
側室 川上氏 女子  
母追跡中 五十若 (?-明治8/1875)  
佐竹宗家三十一代当主 佐竹義脩 (幼名:亀丸、初名:義紀)(のち分家して男爵)(安政元/1854-明治26/1893) ※実父は出羽岩崎藩主佐竹義諶
正室 春台院 佐竹雅子 (佐竹義堯女)(安政5/1858-明治36/1903) 男子  
男子  
女子  
女子  
(明治3/1870-明治5/1872)  
亀丸 (明治4/1871-明治5/1872)  
佐竹宗家三十二代当主 佐竹義堯 (再襲)
佐竹宗家三十三代当主 佐竹義生 (幼名:鈷丸)(侯爵)(慶応3/1867-大正4/1915)
夫人 徳大寺祚子 (徳大寺実則女)(明治5/1872-昭和12/1937)    
母追跡中 義春 (明治23/1890-昭和19/1944) 三十四代当主(侯爵)
義行 (明治26/1893-昭和20/1945)  
男子  
義通 (明治34/1901-昭和2/1927) 佐竹子爵家(旧岩崎藩主家)相続(子爵)
義勝 (明治36/1903-昭和52/1977) 兄義通養子(子爵)
義心 (明治37/1904-昭和54/1979)  
涼子 (明治39/1906-昭和20/1945)  
静子 (明治42/1909-?) 伊藤次郎左衛門夫人
松平忠宏(初名義宏) (大正元/1912-?) 藤井松平忠正養子(離縁)
佐竹宗家三十四代当主 佐竹義春 (侯爵)(明治23/1890-昭和19/1944)
夫人 九条兼子 (九条道実女)(明治27/1894-昭和39/1964) 義栄 (大正3/1914-昭和58/1983) 三十五代当主(侯爵)
則子 (大正5/1916-) 子爵鍋島直紹夫人
照子 (大正10/1921-) 侯爵花山院親忠夫人(離縁)
母追跡中 美子 (昭和3/1928-) 鈴木崇夫人(離縁)
亮子 (昭和11/1936-) 川原良太夫人
佐竹宗家三十五代当主 佐竹義栄 (侯爵)(大正3/1914-昭和58/1983)
夫人 徳川百合子 (尾張徳川義親女)(大正6/1917-) 義忠 (昭和14/1939-昭和20/1945)  
朋子 (昭和16/1941-)  
佐竹宗家三十六代当主 佐竹孝 (昭和22/1947-) ※実父は大給義龍
夫人 鈴木明紀子 (鈴木俊亮女)(昭和25/1950-) 基博 (昭和56/1981-)  
章博 (昭和57/1982-)  

 

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