花筐館<葵の間>

   
  薩摩鹿児島藩主家 島津氏系譜
   
 
島津義弘 (通称:又四郎、初名:忠平・義珍/戒号:妙円寺殿)(天文4/1535-元和5/1619)
正室 北郷忠孝女 御屋地 (天文23/1554-寛永13/1636) 家臣島津朝久室
継室 亀徳 (相良晴広女)    
継室 実窓夫人 園田実明女(広瀬助宗養女) (?-慶長12/1607) 鶴寿丸 (永禄12/1569-天正4/1576)  
久保 (天正元/1573-文禄2/1593) 皇徳寺殿、幼名如意寿丸、通称又一郎
家久(忠恒) (天正4/1576-寛永15/1638) 慈眼院、幼名米菊丸、通称又八郎
初代藩主
母追跡中 万千代丸 (天正8/1580-天正16/1588)  
忠清 (天正10/1582-文禄4/1595) 幼名長満、通称久四郎
家臣となる
御下 (天正12/1584-承応元/1652) 家臣伊集院忠真室(死別)
家臣島津久元室
初代 島津家久 (幼名:米菊丸、通称:又八郎、初名:忠恒/戒号:慈眼院)(天正4/1576-寛永15/1638)
正室 持明夫人 亀寿 (島津義久女)(元亀2/1571-寛永7/1630)    
側室 心応夫人 島津忠清女 (慶長5/1600?-寛永2/1625) 女子 (慶長18/1613-元和元/1615)  
光久(初名忠元) (元和2/1616-元禄7/1694) 寛陽院、幼名虎寿丸、通称又三郎
二代藩主
北郷久直(初名忠直) (元和3/1617-寛永18/1641) 幼名岩松丸、通称又十郎・式部
はじめ家臣島津久敏養子、のち家臣北郷忠亮養子
千亀 (元和6/1620-正保2/1645) 家臣島津久章室
忠紀 (元和8/1622-正保4/1647) 幼名万千代丸、通称越後
家臣島津久敏養子
満鶴 (寛永2/1625-寛文11/1671) 家臣肝付兼屋室
側室 鎌田政重女 兵庫頭 (慶長17/1612-慶長19/1614)  
女子 (慶長19/1614-寛永9/1632) 家臣北郷翁久室
女子 (元和元/1615-寛永20/1643) 家臣種子島忠時室
忠朗(初名忠平、忠明) (元和2/1616-延宝4/1676) 通称又八郎
加治木島津家祖
女子 (元和4/1618-寛永14/1637)  
女子 (元和5/1619-寛永11/1634)  
忠広(初名忠弘) (元和6/1620-元禄16/1703) 幼名宝寿、通称市正
はじめ家臣島津朝久養子、のち本家復帰
禰寝重永 (元和8/1622-元禄元/1688) 通称七郎・右近
家臣禰寝重政養子
女子 (寛永元/1624-正保元/1644) 家臣島津久頼室
伊集院久国(初名忠良) (寛永3/1626-寛文元/1661) 通称右衛門
家臣伊集院忠広養子
側室 相良長辰女 (?-元和9/1623) 菊寿 (慶長19/1614-慶安元/1648) 家臣島津久慶室
久雄 (元和8/1622-寛文7/1667) 幼名福寿丸、通称安芸
家臣島津忠栄養子
側室 宮原景辰女 町田忠尚(初名忠共) (元和7/1621-延宝4/1676) 幼名梅千代丸、通称出羽
家臣町田久幸養子
側室 牧胤親女 鎌田正勝(初名政由、政昭) (寛永2/1625-寛文6/1666) 幼名松千代、通称又七郎・筑後・蔵人
はじめ家臣伊集院久族養子、のち鎌田政統養子
伊集院久朝(初名久立) (寛永4/1627-宝永元/1704) 幼名源助、通称十右衛門
家臣伊集院久族養子
側室 崎山盛秀女 女子 (寛永2/1625)  
伊勢貞昭 (寛永6/1629-寛文3/1663) 幼名鶴丸、通称隼人・兵部
家臣伊勢貞昌養子
女子 (寛永8/1631)  
女子 (寛永10/1633)  
女子 (寛永11/1634)  
男子 (寛永12/1635)  
女子 (寛永13/1636-宝永5/1708) 家臣島津久竹室
側室 家村重治女 (?-寛永13/1636) 女子 (寛永3/1626-承応2/1653) 家臣島津久茂室
女子 (寛永9/1632-承応2/1653) 家臣入来院重頼室
側室 川村秀政女 忠心(初名忠隆、忠知、忠康、忠朝) (寛永4/1627-延宝3/1675) 通称又十郎・三郎右衛門
はじめ家臣桂忠能養子、のち家臣島津常久養子
樺山久尚 (寛永6/1629-正保3/1646) 通称又九郎
家臣樺山久辰養子
二代 島津光久 (幼名:虎寿丸、通称:又三郎、初名:忠元/戒号:寛陽院)(元和2/1616-元禄7/1694)(在職:1638-1687)
正室 曹源院 伊勢貞豊女 (元和元/1615?-万治元/1658) 綱久(初名久平) (寛永9/1632-延宝元/1673) 泰清院、幼名虎寿丸、通称又三郎
正室:真修院 久松松平定頼女(徳川家光養女) (寛永9/1632-天和2/1682)
三代藩主綱貴の父
満姫 (寛永11/1634-承応元/1652) 徳雲院
日向佐土原藩主島津久雄室
継室 陽和院 交野時貞女(平松時庸養女) (寛永15/1638-正徳元/1711)    
側室 松澤氏 辰姫 (寛永17/1640-元禄3/1690) 家臣島津久憲室
北郷久定(初名久統) (正保元/1644-寛文2/1662) 松月院、幼名又作、通称次郎左衛門
家臣北郷久直養子
側室 黒田頼清女 (?-元禄2/1689) 西姫 (寛永19/1642-元禄6/1693) 仙装院
家臣島津久薫室
側室 某氏 忠長 (正保2/1645-寛文10/1670) 千江院、幼名幸寿丸、通称摂津介・外記
はじめ家臣喜入忠高養子、のち兄北郷久定養子
(のち北郷姓を島津姓に改姓、都城島津家)
側室 救仁郷頼重女 久岑 (承応元/1652-寛文8/1668) 幼名虎松丸、通称又六
家臣島津久近養子
側室 某氏 久達(初名貞朝) (承応元/1652-享保4/1719) 幼名虎三郎、通称市右衛門・内記・備後・豊前・備前
はじめ伊勢貞衡養子、のち家臣佐多久利養子
(のち佐多姓を島津姓に改姓)
側室 津留正将女 久侶(初名久雄) (明暦元/1655-元禄10/1697) 幼名虎助、通称権八・権兵衛・壱岐
家臣島津忠清養子
側室 新納忠頼女 虎姫 (明暦元/1655-天和2/1682) 家臣島津忠興室
亀姫 (明暦3/1657-享保16/1731) 家臣入来院重治室
虎鶴姫 (寛文3/1663-天和2/1682) 家臣島津久文室
側室 某氏 鎌田正長 (明暦2/1656-天和3/1683) 幼名松千代、通称又七郎・出雲
家臣鎌田正勝養子
側室 玉利重親女 久理(初名忠顕、忠智) (明暦3/1657-享保12/1727) 瑞宝院、幼名幸寿丸、通称権十郎・市右衛門・筑後
兄都城島津忠長養子
側室 中井氏 喜入久亮(初名忠辰) (万治元/1658-享保7/1722) 幼名虎千代、通称求馬・右衛門・又兵衛・安房
家臣喜入忠長養子
側室 某氏 久明(初名久治) (万治2/1659-享保2/1717) 幼名虎松・虎之丞、通称式部・大蔵
次男に準じて別家を立てる
側室 某氏 万鶴姫 (寛文元/1661-享保19/1734) 家臣北郷忠昭室
側室 某氏 千亀姫 (寛文元/1661-享保7/1722) 家臣伊勢貞顕室
側室 有馬純実女 長姫 (寛文元/1661-元文4/1739) 家臣島津久洪室
側室 某氏 久当(初名久寛) (寛文元/1661-享保14/1729) 幼名松千代、通称権七・伊賀・縫殿・勘解由・将監
兄久岑養子
側室 某氏 外記 (寛文5/1665-天和2/1682)  
側室 濱田氏 久記 (寛文5/1665-享保18/1733) 幼名千代徳、通称源七・頼母
四男に準じて別家を立てる
側室 鹽田国実女 桂久祐 (寛文5/1665-正徳元/1711) 幼名長千代、通称又次郎・宇右衛門・織部
家臣桂久常養子 
側室 岩山氏 鶴姫 (寛文6/1666-正徳元/1711) 智性院
上野小幡藩主織田信盛室
側室 某氏 千代鶴姫 (寛文6/1666-貞享元/1684) 家臣桂忠昶室
側室 味方正信女 畠山基明(初名義扶) (寛文6/1666-延享3/1746) 幼名松之助、通称淡路・式部
家臣阿多忠栄養子(のち阿多姓を改め畠山姓を称す)
側室 某氏 千代松姫 (寛文7/1667-貞享4/1687) 家臣種子島伊時室
側室 某氏 鶴千代姫 (寛文8/1668-享保18/1733) 浄性院
家臣頴娃久明室(離縁)
側室 玉利重勝女 安千代姫 (寛文9/1669-元禄9/1696) 家臣肝付兼柄室
側室 津田氏 袈沙千代姫 (寛文10/1670-寛延元/1748) 家臣種子島伊時継室
側室 福崎氏 入来院重矩(初名久重) (寛文12/1672-享保20/1735) 幼名虎助、通称又一左衛門・主馬
家臣入来院規重養子
側室 某氏 久房 (延宝元/1673-享保17/1732) 幼名千代徳、通称求馬
五男に準じて別家を立てる(岩崎島津家祖)
八代藩主重年の祖父
側室 某氏 松鶴姫 (延宝元/1673-延享元/1744) 家臣島津久輔室(離縁)
側室 某氏 亀松姫 (延宝2/1674-元禄7/1694) 家臣島津忠伴室
側室 某氏 久雄(初名久茂) (延宝8/1680-延享4/1747) 幼名源七・権七、通称備中・監物・市太夫
兄久侶養子
側室 某氏 亀千代姫 (延宝8/1680-天和2/1682)  
側室 某氏 徳鶴姫 (天和3/1683-享保10/1725) 家臣北郷久嘉室
側室 税所氏 税所久皎 (貞享4/1687-寛保元/1741) 幼名権之助・又之丞、通称左門
はじめ家臣高橋種周養子、のち辞去して母の姓を称す
母未詳 女子 (?-寛文4/1664) 高輪院
三代 島津綱貴 (幼名:虎寿丸、通称:又三郎、初名:延久/戒号:大玄院)(承応元/1652-宝永元/1704)(在職:1687-1704)
正室 常照院 米姫 (鷹司松平信平女)(?-寛文13/1673)    
継室 心空院のち東覚院 七姫(鶴姫) (吉良義央女、上杉綱憲養女)(万治3/1660-宝永5/1708)
*離縁
   
側室 蘭室院 重 (二階堂宣行女)(承応2/1653?-天和3/1683) 吉貴(初名忠竹) (延宝3/1675-延享4/1747) 浄国院、幼名菊三郎、通称又三郎
四代藩主
菊次郎 (延宝8/1680-天和元/1681)  
側室 信証院 豊・登代 (江田国重女)(寛文4/1664?-宝暦6/1756)
*上杉氏離縁後は正室に準える
久儔(初名忠英、久陳) (貞享4/1687-享保14/1729) 幼名虎徳丸、通称三郎五郎・又八郎・周防
別家を立てる(花岡島津家)
忠直 (元禄元/1688-正徳元/1711) 幼名虎安丸、通称又四郎・玄蕃
家臣島津久憲養子
亀姫 (元禄3/1690-宝永2/1705) 英光院
近衛家久簾中
久方(初名久晃) (元禄5/1692-享保4/1719) 幼名愛寿丸・又之進、通称図書
家臣島津久洪養子
長姫 (元禄7/1694)  
禰寝清純 (元禄9/1696-享保9/1724) 幼名徳慈丸・仙十郎
家臣禰寝清雄養子
栄姫(菟姫) (元禄11/1698-明和8/1771) 信解院
伊予松山藩主久松松平定英室(離縁)
久東 (元禄12/1699-正徳2/1712) 幼名虎房丸、通称権七
家臣島津久当養子
奈百姫 (元禄14/1701-享保4/1719) 家臣島津久智室
剛姫 (元禄16/1703-享保6/1721) 家臣桂久音室
側室 春窓院 源・清 (二階堂行格女) 鍋保丸 (元禄12/1699-元禄16/1703)  
萋姫 (元禄15/1702-延享2/1745) 家臣町田久儔室
久福 (宝永元/1704-安永3/1774) 幼名仁十郎
家臣島津久輔養子
四代 島津吉貴 (幼名:菊三郎、通称:又三郎、初名:忠竹/戒号:浄国院)(延宝3/1675-延享4/1747)(在職:1704-1721)
正室 霊龍院 福姫 (久松松平定重女)(延宝6/1678-元文4/1739)    
側室 月桂院 須磨 (名越氏)(?-延享元/1744) 満姫 (元禄12/1699-正徳5/1715) 光相院
近衛家久簾中
継豊(初名忠休) (元禄14/1701-宝暦10/1760) 宥邦院、幼名鍋三郎、通称又三郎
五代藩主
幹姫 (宝永元/1704-宝永4/1707) 明嚴院
忠五郎 (宝永4/1707-宝永5/1708) 天真院
貴儔(初名久典) (宝永5/1708-寛政3/1791) 通称小源太・玄蕃・備中・備前
家臣島津忠直養子
厳姫(久姫) (宝永7/1710-寛政2/1790) 家臣島津久章室
側室 慈恩院 源 (相良長賢女)(?-享保17/1732) 弘姫 (享保9/1724-享保11/1726) 玉泉院
側室 幾 (郷田兼近女) 忠紀 (享保19/1734-明和3/1766) 幼名壮之助、通称周防・肥前
越前島津家再興
久亮 (元文元/1736-宝暦13/1763) 幼名知之助、通称図書
家臣島津久倫養子
徳姫 (元文2/1737-宝暦6/1756) 家臣島津久定室
貴澄 (元文3/1738-文化4/1807) 通称小源太・玄蕃・備前・越後・美作
兄貴儔養子
側室 坂 (近藤嘉包女) 民姫 (元文5/1740-安永6/1777) 家臣伊勢貞矩室
忠郷(あるいは忠卿) (寛保2/1742-宝暦4/1754) 幼名三次郎、通称因幡
和泉家再興(称島津姓)
忠温(初名忠雄、忠通) (延享元/1744-安永7/1778) 幼名安之助、通称因幡
はじめ禰寝清香養子、のち兄忠郷養子
供姫 (延享4/1747-宝暦4/1754) 島津岩袈裟某縁約(婚儀前卒)
五代 島津継豊 (幼名:鍋三郎、通称:又三郎、初名:忠休/戒号:宥邦院)(元禄14/1701-宝暦10/1760)(在職:1721-1746)
正室 瑞仙院 皆姫 (毛利吉元女)(宝永5/1708-享保12/1727)    
継室 浄岸院 竹姫 (清閑寺凞定女、徳川綱吉養女)(宝永2/1705-安永元/1772) 菊姫 (享保18/1733-文化5/1808) 真含院
筑前福岡藩世子黒田重政室
側室 妙心院 嘉久 (渋谷貫臣女)(?-天明4/1784) 宗信(初名忠顕) (享保13/1728-寛延2/1749) 慈徳院、幼名益之助、通称又三郎
六代藩主
鐘姫 (享保15/1730-享和3/1803) 家臣肝付兼伯室
鉄姫 (享保16/1731-文政2/1819) 家臣島津久隆室
入来院定勝(初名定救) (元文元/1736-天明元/1781) 幼名千之丞、通称主馬・石見・大和
家臣入来院定恒養子
側室 四本為規女 貞姫 (享保14/1729-宝暦元/1751) 家臣樺山久倫室
側室 嶺松院 登米・登免 (島津久房女)(宝永7/1710?-天明8/1788) 重年(初名久門) (享保14/1729-宝暦5/1755) 円徳院、幼名善次郎、通称兵庫
はじめ島津久季養子、のち七代藩主
側室 はん (伊地知季鄰女) 久峯 (享保17/1732-安永元/1772) 幼名長熊、通称太郎次郎
家臣島津久豪養子
就姫 (享保19/1734-享保20/1735) 円了院
六代 島津宗信 (幼名:益之助、通称:又三郎、初名:忠顕/戒号:慈徳院)(享保13/1728-寛延2/1749)(在職:1746-1749)
縁女 冷池院 房姫 (尾張徳川宗勝女)(享保17/1732-寛延元/1748)    
縁女 智岳院 邦姫福子 (尾張徳川宗勝女)(元文5/1740-明和4/1767)    
七代 島津重年 (幼名:善次郎、通称:兵庫、初名:久門/戒号:円徳院)(享保14/1729-宝暦5/1755)(在職:1749-1755)
正室 正覚院 都美・冨 (垂水島津貴儔女)(享保12/1727-延享2/1745) 重豪(初名久方、忠洪) (延享2/1745-天保4/1833) 大信院、幼名善次郎、通称又三郎
はじめ加治木島津家当主、のち八代藩主
継室 智光院 村 (花岡島津久尚女)(享保20/1735-宝暦4/1754)    
八代 島津重豪 (幼名:善次郎、通称:又三郎、初名:久方・忠洪/戒号:大信院)(延享2/1745-天保4/1833)(在職:1755-1787)
正室 慈照院 保姫 (一橋徳川宗尹女)(延享4/1747-明和6/1769) 悟姫 (宝暦13/1763-明和元/1764) 照雲院
継室 玉貌院 綾姫・多千姫 (甘露寺矩長女)(延享3/1746-安永4/1775)    
側室 慈光院 登世・登勢 (市田貞行女)(?-享和元/1801) 敬姫 (明和7/1770-天明8/1788) 浄信院
豊前中津藩主奥平昌男縁約(死別)
茂姫寔子(はじめ篤) (安永2/1773-弘化元/1844) 広大院
近衛経凞養女
将軍徳川家斉御台所
厚姫 (安永5/1776-安永7/1778) 翠黛院
牧姫(陽姫) (安永7/1778-天明4/1784) 芙蓉院
側室 春光院 千万 (堤代長女)(延享4/1747-文化8/1811) 斉宣(初名忠尭) (安永2/1773-天保12/1841) 大慈院、幼名虎寿丸、通称又三郎
九代藩主
克姫 (安永5/1776-安永7/1778) 蓮心院
男子 (天明2/1782) 青林院
側室 鈴木藤賢女 奥平昌高 (天明元/1781-安政2/1855) 龍徳院、幼名富之進、通称九八郎
豊前中津藩主(奥平氏)
側室 島津久般女 忠厚(初名久邦) (天明2/1782-弘化4/1847) 幼名雄五郎、因幡、安芸、市正
今和泉島津忠温養子
※実は加治木島津久徴の子?
側室 妙清院 房・冨貴 (石井正純女)(?-嘉永2/1849) 亀五郎 (天明4/1784) 香樹院
感之介 (天明5/1785-天明6/1786) 義光院
久昵(初名久亮、有馬一純) (寛政元/1789-天保5/1834) 本光院、幼名時之丞・諸之丞、通称蔵人・左近
越前丸岡藩主家養子(有馬氏)(のち病により大帰)
側室 清貌院 理栄・里江・利衛 (有川貞寛養女)(明和3/1766-寛政3/1791) 為次郎 (寛政2/1790-寛政8/1796) 麗珠院
側室 柏寿院 曽美 (杉浦政信女)(?-文化11/1814) 乗之助 (寛政7/1795-寛政9/1797) 天苗院
蓬之進 (寛政10/1798-寛政11/1799) 蓬窗院
豹治郎 (享和2/1802-文化元/1804) 宝台院
南部信順(初名久命) (文化10/1813-明治5/1872) 幼名虎之助・篤之丞
陸奥八戸藩主(南部氏)
*南部家譜(陸奥八戸)では生母谷氏とされる
側室 青松院 千佐 (谷政相女、牧野氏養女)(?-天保15/1844) 富姫 (文化5/1808-文化8/1811) 麗岱院
孝姫(寿姫) (文化6/1809-文久2/1862or文久3/1863) 柔正院
伊勢桑名藩主久松松平定和室
黒田斉溥(初名長溥) (文化8/1811-明治20/1887) 幼名桃次郎、通称官兵衛
筑前福岡藩主(黒田氏)
側室 芳林院 関有富女 (?-文化13/1816) 種姫(親姫) (文化11/1814-明治18/1885) 善親院
美濃大垣藩主戸田氏正室
側室 了性院 古世 (田上則照女)(?-天保14/1843) 定姫(豊姫、淑姫) (文化12/1815-元治元/1864) 真華院
大和郡山藩主柳沢保興室
貢姫 (文化14/1817-明治24/1891) 桃齢院
出羽新庄藩主戸沢正令室
九代 島津斉宣 (幼名:虎寿丸、通称:又三郎、初名:忠尭/戒号:大慈院)(安永2/1773-天保12/1841)(在職:1787-1809)
縁女 芳春院/光照院 梅姫 (佐竹義敦女)(明和7/1770or安永2/1773-安永5/1776)    
縁女 貞心院 恒姫 (有馬頼貴女)(安永3/1774-寛政元/1789)    
正室 芳蓮院 敦姫(はじめ宣、幸、美栄) (佐竹義敦女)(安永6/1777-寛政8/1796)    
継室 蓮亭院 亭姫 (丹羽長貴女)(天明元/1781-文化12/1815)    
側室 宝鏡院 八百 (鈴木勝直女)(安永元/1772-弘化3/1846) 斉興(初名忠温) (寛政3/1791-安政6/1859) 金剛定院、幼名憲之助・虎寿丸、通称又三郎
十代藩主
籌姫(英姫) (寛政11/1799-享和元/1801) 光容院
側室 喜代 (須山則勝女) 操姫 (寛政7/1795-天保5/1834) 蓮台院
因幡鳥取藩主池田斉邦縁約(死別)
近江膳所藩主本多康禎室
側室 寿賀 (島津仲久建女) 隣姫 (寛政9/1797-慶応元/1865) 松寿院(松樹院)
種子島久道室
剛之進 (寛政10/1798) 幻住院
武五郎 (享和2/1802-文化9/1812) 霊含院
幹姫 (文化6/1809) 香雲院
今和泉島津忠皎縁約(婚儀前卒)
側室 蘭 (中根正房女) 忠公 (寛政11/1799-明治5/1872) 幼名寛二郎、通称若狭・出雲・駿河・山城
重富島津忠貫養子
随姫(祀姫) (享和元/1801-明治9/1876) 隨真院
日向佐土原藩主島津忠徹室
側室 伊尾 (林氏) 職之助 (寛政12/1800-享和元/1801) 宝池院
美寿姫 (享和2/1802) 瑞光院
謙次郎 (文化3/1806-文化4/1807) 垂水島津貴明養子
範之進 (文化6/1809) 宮之城島津久儔養子
側室 琴 (青木盛皎女) 聰姫(長姫、苗姫) (享和2/1802-明治5/1872) 聰徳院
陸奥白河藩主阿部正篤室
泰之進 (文化3/1806) 宮之城島津久儔養子
郁姫興子 (文化4/1807-嘉永3/1850) 常興善院
兄斉興養子
近衛忠凞簾中
宝姫 (文化5/1808-文化12/1815) 肝付米鶴某縁約(婚儀前卒)
側室 多津 (荒田常明女) 忠剛(初名久彰) (文化3/1806-安政元/1854) 幼名啓之助、通称安芸
今和泉島津忠喬養子、天璋院篤姫の父
側室 佐藤氏 勝姫(閑姫) (文化9/1812-明治8/1875) 貞鏡院
石見浜田藩世子松平康寿室(死別後大帰)
のち兄斉興養女
側室 早川兼備女 清次郎 (文化14/1817-文政2/1819) 陽台院
側室 真如院 百十 (橋川時吉女、島津樵風(久伊)養女)(?-安政2/1855) 松平勝善(初名定穀、久博) (文化14/1817-安政3/1856) 隆聖院、幼名勝之進・千松
伊予松山藩主(久松松平氏)
瑞姫 (文政2/1819-文政3/1820) 智涼院
晴姫(春姫、幸姫) (文政3/1820-明治36/1903) 晴雲院
兄斉興養女
久留米藩主有馬頼永室 
種子島久珍 (文政5/1822-安政元/1854) 幼名報七郎、通称弾正
種子島久道養子
夙之丞 (文政6/1823-文政10/1827) 観寿院
信八郎 (文政7/1824-文政9/1826) 天如院
知姫 (文政10/1827-文政12/1829) 光前院
寵姫 (文政12/1829-万延元/1860) 寿光院
相模小田原藩主大久保忠愨室
十代 島津斉興 (幼名:憲之助・虎寿丸、通称:又三郎、初名:忠温/戒号:金剛定院)(寛政3/1791-安政6/1859)(在職:1809-1851)
正室 賢章院 弥姫周子 (鳥取池田治道女)(寛政3/1791-文政7/1824) 斉彬(初名忠方) (文化6/1809-安政5/1858) 順聖院、幼名邦丸、通称又三郎
十一代藩主
池田斉敏(初名久寧、為政) (文化8/1811-天保13/1842) 雄国院、幼名治五郎・丈之助
備前岡山藩主(岡山池田氏)
祀姫(候姫) (文化10/1813-明治13/1880) 落飾後の称は智鏡院(神葬につき法号なし)
土佐高知藩主山内豊煕室
諸之助(壮之介) (文化14/1817-文政2/1819) 遥池院
珍之助 (文政2/1819-文政3/1820) 麗苗院
側室 関根常忠女 順姫 (文化10/1813-明治24/1891) 紫雲院
近江膳所藩主本多康融室
男子 (文化13/1816) 蓮珠院
側室 真了院 由羅・遊羅 (岡田氏)(寛政7/1795-慶応2/1866) 智姫(定姫) (文化12/1815-文化13/1816) 智柱院
久光(初名忠教) (文化14/1817-明治20/1887) 幼名普之進、通称又次郎・山背・周防・和泉・三郎
はじめ重富島津忠公養子、のち本家に復帰して分家
十二代藩主忠義の父
唯七郎 (文政3/1820-文政4/1821) 光臨院
側室 西成駿女 濤姫 (天保元/1830-天保2/1831) 松濤院
十一代 島津斉彬 (幼名:邦丸、通称:又三郎、初名:忠方/戒号:順聖院)(文化6/1809-安政5/1858)(在職:1851-1858)
正室 芳樹院 英姫(恒姫) (一橋徳川斉敦女)(文化2/1805-安政5/1858) 菊三郎 (文政12/1829) 観光院
側室 くら (酒井忠蓋女) 澄姫 (天保8/1837-天保11/1840) 蓮相院
邦姫 (天保9/1838-天保11/1840) 浄台院
側室 横瀬克巳女 寛之助 (弘化2/1845-嘉永元/1848) 麗光院
側室 田宮安知女 盛之進 (弘化4/1847-嘉永3/1850) 盛光院
虎寿丸(儔次郎) (嘉永2/1849-安政元/1854) 覚法院
側室 徳寿院 須磨・寿満 (伊集院兼珍女)(文政4/1821-明治3/1870) 篤之助 (嘉永元/1848-嘉永2/1849) 篤入院
暐姫 (嘉永4/1851-明治2/1869) 十二代藩主忠義(茂久)室
典姫 (嘉永5/1852-明治36/1903) 男爵重富島津珍彦(忠鑑)室
寧姫 (嘉永6/1853-明治12/1879) 近衛忠凞養女
十二代藩主忠義(茂久)継室
哲丸 (安政4/1857-安政6/1859) 哲恵院
十二代藩主忠義(茂久)養子
十二代 島津茂久 (幼名:壮之助、通称:又次郎、維新後:忠義)(天保11/1840-明治30/1897)(在職:1858-1868) ※父は島津久光
正室 暐姫 (島津斉彬女)(嘉永4/1851-明治2/1869) (明治2/1869-明治4/1871)  
継室 寧姫 (島津斉彬女、近衛忠凞養女)(嘉永6/1853-明治12/1879) 忠宝 (明治12/1879) 幼名虎寿丸
継室 板倉棲子 (板倉勝達女)(?-明治19/1886)    
側室 山崎寿満子 (山崎拾女) 清子 (明治4/1871-大正8/1919) 侯爵黒田長成夫人
充子 (明治6/1873-昭和33/1958) 侯爵岡山池田詮政夫人(離縁)
伯爵松江松平直亮夫人
常子 (明治7/1874-昭和13/1938) 山階宮菊麿王妃
知子 (明治8/1875-昭和28/1953) 伯爵田安徳川達孝夫人
普子 (明治9/1876-明治11/1878)  
貞子 (明治11/1878-昭和49/1974) 伯爵久松定謨夫人
俔子 (明治12/1879-昭和31/1956) 久邇宮邦彦王妃
和子 (明治14/1881-明治17/1884)  
徳之助 (明治16/1883)  
邦丸 (明治17/1884-明治18/1885)  
正子 (明治18/1885-昭和38/1963) 公爵徳川家正夫人
忠重 (明治19/1886-昭和43/1968) 幼名秀丸
三十代目当主(公爵)
側室 菱刈久 (菱刈実近女) 忠備 (明治24/1891-昭和3/1928) 幼名富次郎
分家、男爵
忠弘 (明治25/1892-大正11/1922) 幼名諄之助
分家、男爵
久範 (明治27/1894-昭和19/1944) 幼名韶之進
島津伯爵家(旧佐土原藩主家)相続(伯爵)
康久 (明治28/1895-昭和47/1972) 幼名陽之助
為子 (明治30/1897-平成元/1989) 侯爵紀伊徳川頼貞夫人
(薩摩島津公爵家)三十代 島津忠重 (幼名:秀丸)(公爵)(明治19/1886-昭和43/1968)
夫人 徳大寺伊楚子 (徳大寺実則女)(明治21/1888-昭和46/1971) 忠秀 (大正元/1912-平成8/1996) 三十一代目当主(公爵)
母追跡中 経子 (大正2/1913-) 島津久大夫人
鹿島晃久 (大正3/1914-) 鹿島伯爵家相続(伯爵)
矩久 (大正6/1917-) 分家
斉徳 (大正8/1919-昭和43/1968) 伯爵柳沢保承養子(離縁)
(薩摩島津公爵家)三十一代 島津忠秀 (公爵)(大正元/1912-平成8/1996)
夫人 近衛昭子 (近衛文麿女)(大正5/1916-)
*離縁
   
母追跡中 忠敬 (昭和11/1937-昭和19/1944)  
修久 (昭和13/1938-) 三十二代目当主
滋子 (昭和14/1939-) 大島義隆夫人
(薩摩島津公爵家)三十二代 島津修久 (昭和13/1938-)
夫人 西郷伊津子 (西郷隆一女)(昭和13/1938-) 寛子 (昭和44/1969-)  
忠裕 (昭和47/1972-)  

 

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